書評シリーズ第1回「投資」その3
投資にまつわるエトセトラ
その3
橘玲『臆病者のための株入門』(2006年、文春新書)
出版年次は2006年と古いが、私が購入した2014年時点でなんと18刷となっている。出版不況の中でもとくに打撃が大きいと言われる昨今の新書の中では、驚異的なロングセラーだ。というわけでもの書きの端くれとしては、テーマである投資入門もさることながら、いったいどうすればよく売れる本が書けるのかという深甚な興味も感じながら読んでみた。各章、冒頭に強烈な張り手をかましたり、ごく個人的な回想で滑り出したりしていて、つかみがうまい。
そして、これはある書評に書かれていたのだが、この著者の書く「本文はふんふん、なるほどと思いながら読み進んでいても、読み終わるとどうも理解できていなかったところがひっかかる。ただ、『はじめに』と『あとがき』はどの本もすばらしい」と書いてあったが、そうとうな読み巧者の言だろう。そして、各章の出だしと結びの対照もみごとだ。そう考えると、「はじめに」と書き出しながら、「おわりに」で終わらず、「あとがき」で閉める本を「まえがき」で開かないのも、すでに書き手としての工夫なのかもしれない。
肩の凝らない文章でありながら、そうとう高度な金融技術まで専門家としてではなく、好奇心旺盛なしろうととして書いてあるので、たった1冊だけ投資の概説書を読みたいという方にはお勧めだ。「はじめに」を「臆病者には臆病者の投資法がある。この本を読んで、『なんだ、投資ってこわくないんだ』と思えるひとが一人でも多くなれば、とてもうれしい」(12ページ)と結びながら、「あとがき」で「最後にお断りしておくと、私自身はここで述べたような『合理的な投資法』を実践しているわけではない。
ひとには、正しくないことをする自由もあるからだ」(229ページ)で終えるあいだをじっくり反芻した読者は、おそらく「そうか。投資には注入した時間を埋め合わせるほどの収益はないんだな」と感じるだろう。
多方面から投資行動を考察した橘の結論は、第1章結びの3行に結晶している。
「市場には魔法使いが住んでいる。その魔法使いは気まぐれで、ニートの若者を時代のヒーローにすることも、億万長者を一夜にして塀の中に落とすことも自由自在だ。
そしてだれも、自分にどんな魔法がかけられているのか、知らない」。(38ページ)このどうあがいても知りようのない魔法について、投資家はあれこれ思い悩み、考えあぐねる。この時間の消費量は、早々と撤退した敗者より、赫赫たる戦果を挙げた勝者のほうが多いのではないだろうか。そういう点からも、投資はあまりおいしい話ではないことがわかる。
本書のもうひとつの特徴は、世の中で成功者と呼ばれている人たちの足もとにはいかに多くの敗残者が横たわっているかに注目しているところだ。しょせん、歴史を書き残す権利を持っているのは勝者だから、あらゆる歴史には生存者(サヴァイヴァー)バイアスがかかっている。だが、金融市場ほど、このバイアスがむき出しになっている分野も珍しいだろう。たとえば、こんなくだりがある。
「アメリカでは、新たにゲームに参加したトレーダーの7割以上が1年後にはすべての資金を失って去っていく、と言われている。デイトレーダーのうち、生き残るのは全体の5%という報告もある。これらの統計がどの程度正確か判断する根拠を私は持ちあわせていないが、かなり実態にちかいのではないかと思う。一方に莫大な利益を手にするトレーダーがいる以上、その反対側に、膨大な数の敗者がいなければつじつまが合わないからである」。(74ページ)
この原理をちょっと違う角度から表現すると、次のとおりだ。橘もまた、心の底では吉本同様の反投資論者だということがわかる。
「投資家の仕事は、損をすることである。
これが、株式投資を理解するための第一歩になる。」(94ページ)
ひとり大儲けをする投資家が出るたびに、何百、何千、何万の敗残者がすってんてんになって市場を去っていくわけだ。
じつは、1990年代以降の日本株パフォーマンスが欧米に比べて極端に低いのも、一因はこの生存者バイアスにある。欧米、とくに長期にわたってたった30銘柄がダウ平均という国を代表する株価指数を構成していたアメリカでは、代表的な株価指数はひんぱんに落ち目の株を外し、上昇基調の銘柄に入れ替えている。ところが、日経平均を構成する225銘柄はめったに入れ替えない。公式の理由は「指数の存続性を重視する」ということだが、実際には市場のバックオフィス機能がそろばんと電卓で遂行されていた時代の入れ替えに伴う実務処理の煩雑さがいや気されて、そのまま入れ替えを避ける伝統ができてしまったというのが真相だった可能性も高い。
サッカーにたとえれば、欧米のA代表は10代末から20代、30代のピークパフォーマンスが期待できる選手を選んでいるのに、日本だけが40代、50代の選手をずっとA代表に選び続けているようなものだ。その影響はどのくらい深刻だろうか。つい最近、日経500という機関投資家も、外国人投資家も、個人投資家もほとんど見向きもしない株価指数が、ようやく1989年に記録した史上最高値を更新したというニュースが、ちょっと話題になった。
この日経500は、日本の株価指数には珍しく、ひんぱんに銘柄を入れ替えている。だが、それでも日経平均が半値戻しをしたところで頭打ちになっているのに対して、31年目にしてめでたく史上最高値を更新した程度だ。最近では毎年のように新高値を出しているS&P500に比べると、まだまだ差は大きい。つまり、日本の株価低迷は株価指数の老衰だけが原因ではないということだ。
橘にたいしてひとこと批判したいのは、この日本株の低迷に関する議論があまりにも常識的な日本経済衰退=危機説のあおりになっていることだ。
「ベルリンの壁が崩壊し、ソ連邦が解体し、旧社会主義諸国が雪崩を打って自由経済に移行し、中国が資本主義経済の導入に大きく舵を切って以来、世界市場は爆発的な成長をはじめた。ひとり日本だけが、この成長から取り残されたのである」。(166ページ)
このくだりには、あまりにも多くの事実誤認が凝縮している。中国経済の高度成長は、国有企業という巨大権益団体にばら撒く利権がすべて経済成長に寄与しているという仮説の上だけの高度成長だ。国有企業と初めから都市戸籍を持って生まれた都市住民には、恩恵が行きわたっているが、農村に残った農民にも、都市に民工として出稼ぎに出ている農村戸籍保有者にもほとんど恩恵の及んでいない、虚構の成長だ。
アメリカでは、GDP成長率の深刻な鈍化にもかかわらず、株価だけが「爆発的な成長」を続けている。だが、その弊害はいたるところで噴出している。2006年段階では、今ほどはっきり見えていなかったとは思うが、それにしても「世界はどんどん進んでいるのに、日本だけが取り残されている」という日本の知識人には常に受ける固定観念で世界情勢を見ているのは残念だ。
苦言をもうひとつ。橘も「オマハの賢人」と呼ばれるウォーレン・バフェットを崇拝していて、この人物については「純朴で誠実ないなかのおじいちゃん」という評価を額面どおりに受け入れている。つまり、堅実な社風で収益性も高く、成長展望も明るい企業がなんらかの理由で安値になるのを辛抱強く待つ。安値になったらその企業に大きなポジションを取って、業界環境か収益モデルが激変しないかぎり持ちつづける。
「そんなに平凡な手法なら、だれでも使っているはずだ。バフェットだけが大富豪になるのは、おかしいじゃないか」という疑問には、「半世紀以上も現役の投資家として生きていけば、大暴落にも4~5回見舞われる。私と同じような手法の堅実な投資家の中にも、回復不能な打撃を受けて市場から去っていった人たちもいた。私はたまたま、運よく致命傷を受けずに80代まで愚直にやってきたご褒美として。これだけの資産が築けたのだ」という、一見謙虚な述懐をしている。だが「同じ手法で投資しても儲からないじゃないか」という批判はあらかじめ、運不運という神ならぬ身にはいかんともしがたい理由を持ち出して封じているわけだ。
橘の描くバフェット像はとても美しい。
「バフェットやその賛同者が株式の長期保有を勧めるいちばんの理由は、まっとうな会社の株価は長期で見れば必ず上がるものと知っているからだ。……正しいものが最後には勝つのである。株式投資とは、株主や消費者の期待にこたえる会社、尊敬できる経営者とともに、自分自身が成長していく過程である。人間として、そして資産家として――」。(122ページ)
だが、ほんとうに健全経営で将来性も明るいのに割安に放置されている「お値打ち」株を丹念に拾い集めて長期保有するだけで、全米で5本の指に入るほどの巨富が蓄積できるものだろうか。温厚篤実なバフェット像の裏には、あこぎに独占利潤を追求するもうひとりのバフェットがいる。
バフェットが運営するバークシャー・ハサウェイ社の完全子会社(つまり、他者には1株も持たせない虎の子の事業運営会社だ)群の中に、BNSFという大鉄道会社が存在することをご存じだろうか。1995年に、バークシャー主導でもともとアメリカ合衆国の北半分に強かったバーリントン=ノーザン鉄道と、南半分に強かったアチソン・トピーカ・サンタフェ鉄道を合併させて誕生した、アメリカでも一、二を争う貨物路線網を持つ会社だ。
「なんで、収益性重視のバフェットが、アメリカでは完全に斜陽産業と化した鉄道会社など持つのか」と疑問をお持ちの方も多いだろう。このBNSF、毎年確実に高収益をあげ続けるバークシャーグループの優等生なのだ。その秘密は、BNSFがカナダからアメリカ全域に石油を陸上輸送する際の、独占輸送権を握っていることにある。
アメリカの旅客鉄道はたしかに斜陽化している。だが、数両の機関車に数十両、ときには百数十両の貨車を連結して運ぶ貨物鉄道は、現在でも大河流域以外の内陸部のほとんどの地域で、もっとも安くて確実でスピードの速い貨物輸送方式となっている。そして、BNSFは、アメリカ中のどこの消費地に石油を送る際にも、必ず石油タンク車1両当たりいくらの輸送料を取っている。BNSFの路線を使って輸送するときだけではなく、荷主がどの鉄道会社のどの路線を使って運んでも、全部タンク車1両当たりいくらの手数料がBNSFに落ちるのだ。
言うまでもなく明白な独占禁止法違反だ。だが、有能なロビイストを通じて、主として民主党リベラル系の政治家たちにたっぷりワイロをつかませている(ちなみに、これはアメリカでは完全に合法的で正当な政治活動だ)ので、どこからも摘発も訴追もされない。
この鉄道網に乗せた石油タンク車輸送は、独禁法違反であるだけではない。毎年、数回は数十両規模で連結した石油タンク列車が脱線追突事故を起こす。そのうち何両かは爆発炎上する。そうすると、オレンジ色に灼熱した石油タンク車が、線路沿い数キロにわたってたき火の中の焼き芋のように散乱し、すさまじい大気汚染を惹き起こす。
現在のアメリカでは、石油や天然ガスを安全、確実、清潔に輸送するためのパイプライン網も整備されてきた。貨物船、貨物車両と違って、産地から消費地に送り出すだけで、往復運動をする必要がないから、輸送費も格段に安い。多少輸送中の石油やガスが漏れる事故は起きても、そこから引火して大惨事になったことは一度もない。環境負荷を考えても、石油・ガスの内陸輸送は全面的にパイプラインに切り替えるべきなのだ。
ところが、石油タンク車による輸送について独占権を持っているバフェットは、このパイプラインが周辺地域の美観を損ねるという理由で頑強に反対し、「環境保護団体」にも巨額の資金提供をしている。その「功績」は、オバマ政権末期に「環境保護運動への尽力」を称賛して勲章をもらうほどだった。もちろん、パイプラインに反対する本当の理由は、石油タンク車輸送の独占権を守るためだ。
バフェットは決しておとぎ話の中の「おー爺い様」ではない。市場取引ではとうてい望めない独占利潤を貪欲に追求する人間でもあることは、知っていてほしかった。
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