書評シリーズ第1回「投資」完
投資にまつわるエトセトラ
三田紀房×ファイナンシャルアカデミー『せめて25歳で知りたかった投資の授業』(2017年、星海社新書)
さて、ほめるところの多い本ばかり取り上げるのも不公平なので、「ちょっとこれはどうなんでしょう」という本もご紹介しておこう。まずこの本、著者がオモテ表紙にきちんと記載されていないという問題がある。一見したところ、『インベスターZ』という中高生投資漫画を執筆した三田紀房が、本文にも関与したような印象を与える。だが、実際にはファイナンシャルアカデミー執行役員を務める渋谷豊がほぼ単独で書いた本らしい。5章22時間目までの構成となっているが、三田が関与しているのは、それぞれの時間の見開き2ページのうち左側の漫画の中の1コマずつ、計22ページだけだ。
仮に書かれている内容がまともだったとしても、ここまで本当の著者を隠蔽するような表書きで本を出版するのは、問題だろう。しかも、その本文には、裏表紙に書かれた「大学卒業後、邦銀を経て慶応義塾大学大学院にて経営学を学ぶ。その後に外資系銀行に舞台を移し富裕層向けの資産運用を担当」という略歴が本当だろうかと、目を疑うような初歩的な間違いが多い。例えば、次のような文章だ。
「製品やサービスなどの売買で成立する『世界貿易高』(いわゆる実物経済)が年間16兆ドル(1920兆円)であるのに対し、株式は年間50兆ドル(6000兆円)にまで及びます」。(22ページ)
いくら株式市場が大きいことを強調したいからといって、国境を越えて取引される製品とサービスの合計である世界貿易高は、当然のことながら世界各国のGDPを合計した額よりはるかに低い。それを無視して、株式時価総額と世界貿易額を比べても意味がないだろう。ちなみに渋谷がこの本を書いていたはずの2016年ごろの世界GDP総額は75~80兆ドルで、株式時価総額約50兆ドルの1.5倍~1.6倍だった。細かくなるが「株式は」という書き方も、取引高なのか時価総額なのかわざとあいまいにして、何がなんでも株式市場は大きいんだと思わせようとしている印象もある。
当然かもしれないが、渋谷もまたバフェット賛美のコーラスに加わっている。ただ、渋谷が投資初心者に要求するバフェット投資哲学の理解度は、橘に比べて極端に低い。
「ウォーレン・バフェットは、
『自分が何をやっているかわからないときに、リスクは発生する』
といいました。……投資にもルールと技術が必要です。何も知らないと、あなたの投資はリスクだらけになってしまいます。
リスクを排除するための最も基本的な考え方は、
『よくわからないものには投資しない』
ということです。企業の株を買うなら、投資先のビジネスがどんなことをやっていて、いま現在の経営状況はどうなのか――これを知らずに買うことはしないようにしましょう」。(24ページ)
タイトルの『せめて25歳で知りたかった……』に偽りなしとすれば、この本が想定している読者層は25歳以上、少なくとも2~3年は社会人としての経験がある層のはずだ。「株を買おうとしている企業の業容も経営状態も知らずに買ってはいけません」というのは、あまりにも読者をバカにした忠告ではないかと思っていたら、次の行に読み進んでさらに仰天した。
「『あー、やっぱり投資って難しいなあ』
と感じた方は、こう発想を切り替えてみましょう」。(25ページ)
と言って、スマートフォン経由でどんどん情報が入ってくるから、企業の業容や経営状況を調べるのも昔よりずっと楽になったのだから、気落ちすることはないと励ましている。
だが、発行体の業容や経営状況も知らずに株を買おうとするほどで経済リテラシーの低い読者に助言をするなら、発想の切り替えより、金融市場には近づかないようにと忠告するほうがずっと親切だろう。渋谷は、投資「理論」の底が浅いだけではなく、日本の株式市場だけが持つ、個人投資家優位、機関投資家劣位という特徴もまったくご存じないらしい。
「かつては……情報はクローズされ、金融の中心である兜町には怪しげな人間が出入りし、不当な株価操作が頻繁に行われていました。そうしたとき、いつだって損をするのは、個人投資家でした」。(25ページ)
これはもう、単純で明白な事実誤認としか言いようがない。第二次世界大戦直後、日本中の大都市中心部が一面の焼け野原になっていたころ、日本株の約30%は銀行を中心とする旧財閥グループ系の相互持ち合いで占められ、残る70%は個人投資家が保有していた。そして、復興が軌道に乗って、「銀行よさようなら、証券よこんにちは」というキャッチフレーズが流行った1960年代初頭には、すでに日本の個人投資家は売りに転換していた。
その後、日本列島改造論と1980年代後半の株・不動産ブームの時期をのぞけば、一貫して売りを貫いている。このスタンスがいかに正しかったかは、日本株の時価総額に占める個人投資家のシェアが立証している。1990年代以降個人投資家全体としてほぼ毎年株を売り越しているのに、時価総額のシェアはほとんど下がっていないのだ。
一方、実物経済では日本に負けつづけていたアメリカの金融業界は、おそらく1970年代半ばごろに、日本株市場がいかに相場操縦のしやすい環境かを発見していた。ひそかに買いためておいた銘柄に大げさな買い注文を入れると、必ず機関投資家がそのまた上の高値で買い上がってくれる。外国人投資家が高値で売りぬけて株価が下がると、機関投資家は安値で損切りせざるを得なくなる。だから、個人投資家とは対照的に、日本の機関投資家は、ほぼ毎年株を買い越しているのに、日本株の時価総額に占めるシェアは落しつづけている。
話を戻すと、著者自身が論理的に筋道を立ててものを考える能力に欠けていることは明らかだ。ジム・ロジャーズがいかに偉大な投資家かを褒めたたえる文章を、以下のように結んでいる。
「彼はコロコロと自分の投資スタイルを変えたといいます。ある株が『買いだ』といったかと思えば、急に売ってみたりする。目先の状況に振り回されているわけではなく、細かい事実から未来を予測したうえで、緻密な修正を加え続けました。
人類・日本・各業界の歴史を学び、自分なりに未来を仮説立てできるようになれば、投資家としても成功を収めることができるでしょう」。(74ページ)
この文章から、ほんの少しでも具体性のあるアドバイスを汲み取れる読者がいるのだろうか。いたら、その人は投資家として成功するどころか、悟りを開いた禅僧か、新しい宗教の教祖にでもなれるだろう。
「なぜGDPが上がるのか。単純なお話で世界人口が毎年1億人のペースで増えているからです。新たに生まれた人は、労働という付加価値を生み、同時に消費者にもなりますから、マーケットはその分拡大するわけです」(133ページ)といった文章を読むと、この人は自分が考えたことと、現実の世界で起きていることのあいだに脈絡をつけようという気があるのか、心配になる。
世界最大の人口増加地域は、アフリカ大陸サハラ砂漠以南の最貧国群だ。次に人口増加率が高いのは、インド亜大陸とその周辺の国々だ。どちらも21世紀になっても毎年そうとうの人数が餓死するという痛ましい現実に直面している。一方、先進諸国は軒並み人口増加率が趨勢的に下がり、人口減少に転じた国もかなり出ている。「渋谷理論」が正しければ、アフリカ最貧国が高度成長で次々に富裕国になり、先進諸国はどんどん没落していくはずではなかろうか。
渋谷はまた、外国為替市場(FX)にも「ルールに従って長い時間をかければリターンを積み重ねることができる。その点、FX投資とギャンブルは大きく違います」(139ページ)という、FX市場関係者ならびっくりするようなことも平然と主張している。FX市場というのは、世界中の金融市場の中でも、自分の手ガネにレバレッジを掛けるための借金が最大の幅で許されている世界だ。ほんの小さな変動も、膨大な借金によるてこの原理で、損失も利益も拡大されて出てくる。
「株式市場は世界経済の成長を反映するから、長期で見れば必ず買い方が勝つ」という議論には、私は賛成できない。だが、少なくとも論理的な整合性はある。しかし、一瞬一瞬の微妙な値動きで勝ったり負けたりするFX市場のどこに「自分なりのルール」なるものが成立する余地があるのだろうか。ただただ、不思議というしかない。
というわけで、同じように「初心者向けの投資入門書」を名乗る本にも、ずいぶん内容の違いがあることは、おわかりいただけたのではないかと思う。
コメント