2 「21世紀大不況の核心は過剰設備にあり」
製造業全盛期は過ぎ、サービス業が経済を牽引する時代になった
経済発展論の分野には、「ぺティ=クラークの法則」という有名な法則がある。ぺティ・クラークというひとりの学者が唱えた法則ではない。17世紀後半に活躍した医師であり、測量技師であり、植民地行政の専門家であり、『政治算術』という初期経済学の傑作を書いた経済学者でもあった多能の人、ウィリアム・ペティが断片的な文章として残した発想を、はるか後代の20世紀半ばに、開発経済学者だったコリン・クラークが定式化した法則だ。
さまざまな学界で2人の学者が考え出した法則はいろいろあるだろうが、その2人の年齢差を数えると、この法則は突出しているかもしれない。これはたんにトリヴィア的な豆知識ではない。250年以上のときを隔てて2人の学者が同じことを考えていて、その考えが直観的にも正しく、社会常識からみて妥当性があるというだけでは、長期間にわたって法則として生き延びはしない。実社会を観察するにあたって、有意義な仮説を引き出して検証することができるからこそ、法則として生き延びるわけだ。
さて、それではペティ=クラークの法則とはどんな法則か。どこの国でも生活水準が上がるにつれて、国民の需要に対応した生産力の主な投入先は農林水産業などの第1次産業から鉱工業・建設業などの第2次産業へ、そして、さらに豊かになるとサービス業中心の第3次産業へと移行するというものだ。
もう少し具体的に説明しよう。人間、なんといっても食べなければ生きていけないので、社会全体が貧しいうちは、狩猟・漁労・採集・農耕・牧畜といった、自然と協力して食べものをつくり出す産業に最大限の努力を傾ける。だが、どんな大食漢でも、せいぜい食べられるのは5~6人前ぐらいだ。それ以上食べると満足感が増すどころか、体を壊してしまう。一度に食べられない分は備蓄しておけばいいかというと、とくに食料の保存手段が未発達だった時代には、溜めこみすぎると腐って食べられなくなる。
だから、農林水産業の生産水準がある程度まで上がると、人間はもっと大量に食べものを欲しがるのではなく、着るもの、住むところ、家具調度、宝飾品などさまざまな工芸品、のちには工業生産物が欲しくなる。工業生産物になると、一般的にひとりの人間が持てる量の天井はかなり高くなる。着るものは一度に何十着も着る必要はない。たくさん持っていて、その中からその日の気分にあったものを着て、あとはしまっておくことができる。
というわけで、衣類の材料としての糸、布、毛皮、なめし皮から始まって、ものを運搬する手段としての車輪、馬車や船、蒸気機関を利用した紡績機、織布機、汽車や汽船、ガソリンエンジンを利用した自動車や航空機、そして電気を利用した電灯、電信電話、ラジオ、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、コンピューターと、人間の欲求の対象としてのモノは際限なく多様化していった。第1次産業主導の経済から、第2次産業主導の経済への転換だ。この転換に決定的な役割を果たしたのが、18世紀半ばごろイギリスで起きた産業革命だった。
だが、いくら工業製品は農林水産物より溜めこむときの天井が高いといっても、人間がモノを溜めこむにはスペースも必要だし、溜めこんだモノは手入れをしなければ品質が劣化することも多い。というわけで、芝居を見る、音楽を聴く、食材を買わずにレストランで調理してもらった料理を食べる、自分の住んでいない場所に観光旅行に行く、床屋で髪を整えるといった生産即消費で、あとにはしまうモノも片付けるモノも残らないサービスへの需要の重要性が増していく。これが、第2次産業主導の経済から第3次産業主導の経済への転換だ。
こうやって見てくると、ぺティ=クラークの法則は現代でも意義を失っていないことがわかる。これからは農林水産業とサービス業が合体した「第4次(第1次+第3次)」産業の時代だとか、いや、製造業とサービス業が合体した「第5次(第2次+第3次)」産業の時代だとか、はては全部が混然一体となった「第6次(第1次+第2次+第3次)」産業の時代だとか、いろいろ言われる。だが、しょせんちょっと目先を変えただけで、経済構造の本質に関する考え方が一変するような提言ではない。多少なりとも意味があるのは、農林水産業とサービス業の合体した第4次産業ぐらいだろう。
江戸時代の職人には、職人としての技芸を磨くことに専念する生粋の職人と、最終消費者に小売りもする「職あきんど」とに分かれていた。これからの日本農業は、農家一戸ごとに消費者に直接売れる訴求力を持った農産物を育てていかないとやっていけない「農あきんど」の時代になるだろう。産地直売所だけではなく、ふつうのスーパーなどで生産者の個人名が明記された農産物がやや割高に見える価格設定でも売れているのを見ると、そういう時代はもう来ているのかもしれれない。
製造業とサービス業が合体した第5次産業に至っては、明白に経済史の教訓に反する見果てぬ夢をまだ見ているのかという感じだ。1980年代までは、単品生産をしている業種の時価総額では、自動車産業は他の全業界を圧倒していた。それが、1990年代中に逆転したかはともかく、21世紀に入ってからは携帯機器メーカー、それもアップル1社に完全に負けている。テスラというまだ実力で営業利益を出したこともない電気自動車メーカー1社が4000億ドル超というべら棒な過大評価になっていても、業界全体としてアップルの約1兆3000億ドルには遠く及ばないのだ。まっとうな自動車メーカーとしては最大のトヨタでさえ、時価総額は2000億ドル強に過ぎない。
自動車自体の物理特性として非常にエネルギー浪費型商品だという事実も否定できない。だが、決定的だったのは、世界中の大手自動車メーカーがこぞって販売ディーラー網を自社で掌握して、卸売店や小売店に行くはずの利益まで全部吸収してしまおうとした結果、消費者にとって選択肢の少ない販売現場しか設定できなかったことだろう。こういう販売網を直接支配するかたちでの消費者の囲い込みは、どこか1ヵ所でも堤防に亀裂が生じると、壊滅状態になってしまう。
アメリカのビッグスリーがまさによい例だ。1960年代のドイツ車の攻勢は、大衆車でフォルクスワーゲン、高級車でベンツにシェアを取られるだけで食い止めた。だが、70年代に入ると、日本車メーカー各社によるフルライン製品群の挑戦に完全に敗北し、今や国家や他国のメーカーの支援なしにはやっていけない状態になっている。一方、アップルやサムスンは自社直営の販売網でも売るが、世界各国の通信サービス業者を通じた販売も許すことによって、消費者にとって選択肢の多い販売網を築いている。
ときおり、製造業の経営者が胸を張って「うちは全部直販ですから、中間マージンなしで、安くてよいものをお届けできます」と言っているのを耳にする。消費者は自社製品しか買うはずがないとでも思っているのだろうか。最終消費財を造っている製造業のほとんどの分野は、卸売・小売との緊張ある協力関係なしには存立しえない。その意味では今ごろになって製販一体化した業態になれば往年の製造業の強さを取り戻すことができるという主張を蒸し返すのは、たんに見果てぬ夢であるだけではなく、製造業は単独ではやっていけないひ弱な存在だという事実を逆照射するだけだ。
第1次、第2時、第3次産業が主役だった時代の長さを比べてみよう。人類が類人猿とたもとを分かって、独自の道を歩み始めたのは約500万年前と言われている。それから、1750年前後までの圧倒的に長い期間、就労人口でもGDPに対する比率でも第1次産業が主役だった。つまり人類史の99.995%は第1次産業主導の時代で、第2次産業、第3次産業が主役の時代を合わせてもまだ250年強、つまり0.005%にしかならないのだ。しかも、すでに世界中の先進国は完全に第3次産業主導の時代に入っている。製造業はひ弱なだけではなく、なんとも絶頂期の短い、はかない存在でもあったのだ。
今後人類が数百年で消えてしまうのか、数千年保つのか、それとも数万年、数十万年と生き延びるのかはわからない。だが、今後の経済を牽引するのは、製造業ではなくサービス業であることは間違いない。結局製造業主導の時代というのは、第1次産業主導から、第3次産業主導までの幕間をつなぐ暫定政権に過ぎなかったのだ。そのへんの事情を、しっかりした数字で確認しておこう。次の2枚の表に登場する4ヵ国は、さまざまな意味で特徴的な先進国であるイギリス、アメリカ、フランス、日本だ。
4ヵ国とも3大経済部門の生み出した富が国内総生産(GDP)の何パーセントに当たるかをほぼ10年おきに拾い出した表となっている。ただ、この区分についての基礎資料がなかった年もあるので、データとしての継続性には若干問題が残る。しかし、第2次産業のピークがいつごろだったか、そして、第3次産業のシェアが60%を超えたのはいつかといった点については、それほど大きな事実誤認はないはずだ。イギリスとフランスは19世紀初めから、アメリカは19世紀半ばから、そして日本は19世紀末からのデータが集計されている。
イギリスでは、産業革命の最盛期だったはずの19世紀前半の第2次産業比率は意外に低く、30%台にとどまっていた。40%台に達したのはおそらく20世紀に入ってからであり、また第2次産業シェアのピークは1960年とここで比較対象とした4ヵ国中でいちばん遅く、なんと1980年まで40%台を保っていた。
最近のイギリス経済史では「イギリスでは産業革命のまっただ中でも製造業の地位は低く、一貫してイギリス経済の根幹にあったのは金融資本主義だった」という説が有力だ。皮肉にも、産業革命を神聖視しすぎたために、かなり製造業の国際競争力が低くなっていた1970年代まで製造業にしがみつていた企業が多すぎたため、マーガレット・サッチャー首相による大胆な製造業つぶしを招き、金融業だけの片肺飛行のようないびつな国民経済を招いた可能性はある。その意味で、産業革命当時のイギリス経済に占める産業革命の意義はたしかに過大評価されているが、その後は産業革命の神聖視がイギリス経済の発展においてマイナスの方向で重要な意味を持ったのかもしれない。
逆にアメリカは1899年、つまり19世紀のうちに第2次産業比率が35%台という低水準でピークを打ってしまった。おそらく、独立直後から第3次産業のほうが第2次産業よりシェアが高い経済を維持していたのだろう。当然のことながら、第3次産業のシェアが60%台に乗せたのも、30年代大不況直前の1928年と非常に早かった。
イギリスとアメリカに共通しているのは、次に見る日仏両国と比べて、非常に早くから第3次産業のシェアが大きかったことだ。これは、大英帝国が遠く海を隔てた地域に広大な領土を持つ「飛び地海洋帝国」だったことに由来していると思われる。
飛び地海洋帝国でも、地続き大陸帝国でも、宗主国(征服地や植民地を支配する側の国)は植民地での農業を本国や海外に売れば利益の大きな商品作物に絞りこもうとする傾向がある。そうすると商品作物を育てる農民の食料やその他の生活必需品も、かなりの遠距離貿易で輸入しなければならないことも多くなる。この傾向は非常に早くから国際貿易、国際金融の地位を高める。飛び地海洋帝国の遠く離れた植民地経営では、植民地と宗主国やその周辺諸国のあいだで価格体系が大きく違う商品作物が多く、それだけ国際貿易や国際金融で巨額の利益を得るチャンスが大きくなるからだ。
香料、さとうきび、タバコ、綿花といった農作物はすべて、飛び地海洋帝国の植民地とヨーロッパ諸国のあいだに存在する大きな価格差が莫大な利潤を生む商品となった。そして、残念なことにこの商品を生み出すための農業労働者もまた、奴隷商人やプランテーション主が所有する人格を持たないモノとして、おもに西アフリカから南北アメリカ大陸とカリブ海の諸国に大量に輸出され、巨額の利益を生んでいた。
飛び地海洋帝国での第3次産業は、我々がサービス業という言葉から連想する個人向けの消費者サービスとはまったく違う。非常に早い時期から、貿易や金融の比重が突出した発展を示している。その伝統を引き継いでいるのか、巨額の被害を出して世界を揺るがす金融スキャンダルは、いまだに英米が震源地となることが多い。国際貿易や国際金融の世界では、当たれば健全な事業として認知されるが、はずれれば巨額詐欺としか見えない儲け話がいかに多いかということだ。
このへんの事実を確認した上で、日仏の3大経済部門のシェア推移を見ると、やはり全体としておとなしめの数字が並んでいる。結局、巨大飛び地海洋帝国の創設に失敗したフランスの第3次産業比率は、一貫して英米より低かった。我々の漠然としたイメージでは、偉大なシェフやデザイナーを輩出したフランスなら、もう少し第3次産業のシェアが早くから高くてもよさそうに思える。だが20世紀前半まで、偉大なシェフやデザイナーは一握りの富裕階級の専有物だった。そういう限定された需要に対応する仕事には、国民経済全体の特徴を左右するほどの影響力はないのだ。
そこで興味深いのが、日本はまだ明治維新から20年も経っていない1885年にすでに第3次産業のシェアが40%台に達していたという事実だ。おそらく江戸時代後期には江戸、大坂、京といった大都会では、第3次産業比率がかなり高かったのではないだろうか。
もちろん、徳川幕府は国際貿易や国際金融をできるかぎり抑制する方針を堅持していたから、その分野の貢献が大きくて第3次産業のシェアが高かったはずはない。日本では少なくとも江戸時代から富裕層と一般庶民とのあいだの所得格差が小さくて、庶民も直接食うためにではないところに遣うカネをけっこう持っていた。18世紀半ばあたりの日本とイギリスの所得分布の差を考察した経済史の本によれば、イギリスでは商人・職人の所得が農民の数十倍、王侯貴族・大地主の所得は農民の数百倍だった時代に、日本では商人・職人も武士も農民の所得の3倍程度だった。江戸時代の文献などを読むと、ありとあらゆる芸ごと、習いごとに大勢の「お師匠さん(レッスンプロ)」がいて、その人たちがちゃんと食って行けたという事実に驚かされる。
私は今後の市場経済に残された未開の沃野(フロンティア)は個人向けサービスにしかないと確信している。そして日本経済は江戸時代から着々とその最後のフロンティアを開拓しつづけてきた実績を持っているのだ。
それにしても、なぜ国際貿易や国際金融分野は第3次産業主導経済の牽引車になれないのだろうか。
製造業が落ち目になれば、国際貿易もまた斜陽化することはわかりやすいだろう。極端に日持ちの悪い生ものをのぞけば、製造業が生み出した製品のほとんどは輸出可能だ。最近ではテクノロジーの進歩によって、生きのいい魚の刺身まで航空機で輸出できるそうだ。それに比べて、個人向けサービスは、売り手と買い手が同時に同じ場所にいなければ売買が成立しないので、輸出は不可能なことが多い。理髪、美容、ネイル、まつ毛エクステ、みんな国境を越えて注文を取り、同時並行でできる仕事ではない。
なぜ国際金融も製造業の没落につれて衰退するのかは、国際貿易ほどわかりやすくない。ようするに国境を越えてカネを動かすだけだから、通貨の違いから来る外国為替市場での変動リスクさえヘッジできれば、いつでもどこでも自由自在に商売ができそうに思える。ところが、国際金融だけではなく、金融という産業部門全体が、製造業の地位低下とともに縮小せざるを得ない分野なのだ。
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