第3回連載 「アメリカ株異常な暴騰の真相」1/6

21世紀の先進国株式市場で、上がりつづけたのはアメリカだけ


21世紀今年の12月末で20年を過ぎ、5分の1が終わったことになる日本のメディア報道ばかりご覧になっている読者はアメリカもヨーロッパも好調な中で日本だけが取り残されてきたという印象をお持ちではないだろうか

だが、その印象は間違っている。実際には、21世紀の最初の20年間を通じて、先進国を代表する株価指数のうちではっきり上昇基調を保っていたのは、S&P500、ダウジョーンズ工業平均、ナスダック100といったアメリカの株価指数だけなのだ。

「アメリカ株ひとり勝ち」状況を具体的な数字で紹介すると、以下のとおりだ。S&P500株価指数は、2000年年初から20201012日までで2.4倍になっている。21年弱の累計で2.4倍はびっくりするほどの高成長ではないが、年率にして4.5%近い伸び率となるから、すでに成熟した先進国の株価としては立派なものだ。さらに、サブプライムローンバブル崩壊直前の2007年秋には1500ドルに迫っていものが、このバブルが崩壊した大底の2009年春には666ドルという「悪魔の数字」まで下がったのを、1500ドル台を軽々と突破して3000ドルの大台に乗せたのだから、大変な回復力だ。

じつは主要先進国を代表する株価指数で21世紀のパフォーマンスがアメリカに次いでよかったのは日本の日経平均なのだが、21年弱でわずか24%伸びただけだった。年率にすると約1.1%にとどまる。1990年代を通じバブル崩壊後の株価低迷を経たうえで、この程度しか伸びなかったのだから、それほど威張れた数字でもない。ドイツのDAXK株価指数は通算で8.4%、年率にするとわずか0.4か伸びていない。イギリスのFTSE100はマイナス10%、フランスのCAC40もマイナス16%と、下落していた

もうすっかり忘れてしまった人が多いが、1990年代後半の金融市場を騒がせた2大トピックは、「2000年問題」と「ユーロ通貨圏」の誕生だった。前者は、「これまで西暦年を下2ケタで入力していたコンピュータープログラムがいっせいに誤作動を起こし、金融市場、通関業務、はては飛行中の旅客機にいたるまで機能停止して莫大な損害が出る」という、荒唐無稽な作り話だった。このなんとも珍妙な「危機」説は、日本を始めとして世界各国が200011日の深夜零時を迎えると同時に、淡雪のように消えていった。

もう少したちが悪かったのが、「ユーロ圏大国化」幻想のほうだった。ドイツ、フランス、イタリア、スペインのヨーロッパ大陸4大国を中心に共通通貨ユーロを使い、パスポートも通関業務も通貨の交換も不要で人やモノが自由に行き来できるようになることにあまりにも大きな期待がかけられていたのだ。「これで、ユーロ圏諸国がアメリカから経済覇権を奪い、21世紀はヨーロッパが世界の中心に返り咲く」とまで語る人たちもいた。

ユーロ圏加盟諸国では、19991月から実際の取引はドイツならマルク、フランスならフラン、イタリアならリラで行いながら、計算上の仮想通貨としてユーロが導入された。続いて20021月以降、最初はコインと小額紙幣から、やがて高額紙幣まで、徐々にユーロを実際の貨幣として使うようになっていった。

私は「そもそもヨーロッパ人が自分たちの強さに自信を持っているかぎり、言語圏や人種民族系統、文化の違いを超えて大同団結などするわけがない。これはヨーロッパ諸国が没落の最終局面に入ったので、弱者連合を造らざるを得なかっただけだろう」と思っていた。だが、ヨーロッパ諸国の株価は、この言葉も人種も文化もさておいた経済だけの「大同団結」にかけた過大な夢をそっくり反映したような動きをしていた。次のグラフがそのへんの事情をみごとに浮かび上がらせている。

 



 

なお、ユーロSTOXX600というユーロ圏を代表する株価指数の日々の値動きが公表されはじめたのは、仮想通貨としてのユーロ導入の3ヵ月前に当たる19989月だった。だが、この指数に選ばれた銘柄全部の値動きは199112月末から集計されており、この1991末の指数100としてその後の価格が決定されている。

ご覧のとおり、ユーロSTOXX600は何度挑戦してもユーロがまだ仮想通貨にとどまっていた20003月の高値400を抜くことができずに、はね返されつづけている。1990年代の急騰がユーロ圏発足への過大な期待がもたらしたあだ花に過ぎなかったのだから、現在の位置も上値余地より下値不安のほうがるかに大きいとて間違いないだろう。

それに比べるとS&P500のほうは、ずっと順調に史上最高値を更新しつづけているように見える。だが、ほんとうにアメリカ経済の実力に見合った高値なのかというと、大いに疑問が残る。まず問題なのが、S&P500株価指数の上昇はほんの一握り、具体的には510銘柄の突出した好調に支えられていて、残る500近い銘柄全体としてはじり安基調が続いていることだ。

 



 

S&P500採用銘柄中の時価総額トップ5銘柄が、全採用銘柄の時価総額の何パーセントを占めるか描いたグラフだ。前回アメリカ株の割高感がピークに達したハイテク・バブルの頂点では、時価総額トップ5銘柄の全銘柄時価総額に占めるシェアは18%強にとどまり、うち2銘柄は電機のGEとスーパーチェーン最大手のウォルマート、ハイテク以外の業種に属していた。今回は、5銘柄全部ハイテク・情報通信・インターネットがらみで、しかもこのグラフが作成された8月半ばですでに21%に達していて、10月半ばには23%とさらにシェアを高めた。

アメリカ株全体が好調なわけではなく、一握りの銘柄に異常なほど人気が集中していることを示す証拠は、まさに枚挙にいとまがない。1993年にはまだ存在していなかったアマゾンが、いまやS&P500中の裁量的消費財部門全体の時価総額の43%を占めている。時価総額でトップ5銘柄の時価総額の合計は、下から389銘柄の時価総額の合計より大きい。アップル、アマゾン、マイクロソフト、グーグルの時価総額を合計すると6兆ドルになるが、これは米中2ヵ国をのぞく世界中のどこの国のGDPより大きな金額だ。

こうした数字を調べ上げたのは、いまや『コントラ・コーナー』というウェブサイトに陣取って、財政健全化のために健筆をふるっているデイヴィッド・ストックマンだ。彼がまだ小生意気な若造だった1980年代に、ロナルド・レーガン政権の予算局長としてアメリカの借金経済化、利権経済化の片棒を担いでしまったのだから、ほんとうに歴史は皮肉な巡り合わせに満ちている。

あまりにも数の銘柄に人気が集中するのは、大暴落の前兆とされている。実際にハイテク・バブルが崩壊した200102年には、S&P5001500ドル台から800ドル程度へとほぼ半値になってしまったことは、最初のグラフでご確認いただきたい。

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