第4回連載 「根無し草になった金融業の繁栄に迫るたそがれ」6/7

金融業・専門サービス業の肥大化は、サービス主導型経済本来の姿ではない

 FIRE3業態と専門・企業向けサービスには共通の特徴がある。それは、雇用人口に比べて、付加価値額のシェアが大きい、つまり1人当たり付加価値額が高いということだ。このシリーズ初回2枚目のグラフの最終年次である2009年を例に取れば、FIREは約6%の雇用人口で約21%の付加価値を生み出していた。1人当たり付加価値額は平均値の2.5倍だ。専門・企業向けサービスも雇用人口は約6%だったが、こちらは約12.5%の付加価値を生み出していた。1人当たりにすると2倍強となる。


 たんに1人当たり付加価値額が高いだけではなく、業界内の賃金給与格差も大きい。そして、高給取りの大部分は、大学・大学院で高等教育を受けていたころから、エリート養成コースに乗っていた人たちだ。もちろん、こうした業種でも特別な資格や能力を授けられたわけではないが、業界に入ってから高給取りにのし上がった人たちもいないわけではない。だがごく少数派にとどまる。


 その他のサービス業となると、雇用人口は増えるがその割にGDPに占める付加価値は増えない。つまり、賃金給与はGDP成長率以下に押しとどめられてしまう。製造業全盛期に現場で作業をしていた工場労働者たちの中には、あまり高い教育を受けなくても職場で経験を積むうちに技倆が高まって、工場内での地位も賃金給与も上がるという人たちがかなり大勢いた。だが、サービス業ではそういうチャンスも少ない。


 社会全体として貧富の格差は拡大し、殺伐とした世相になる。一生低賃金にとどまることが予想される人たちの中から、失業しても次の職を真剣に探さずに労働力人口から脱落し、生活保護や食料スタンプに頼って生活していく人が増える。1980年代にやや回復し、90年代以降は先進諸国でもっとも高い成長を達成したとされるアメリカ経済の実態はこんなものだ。


 だが、経済を牽引する産業が製造業からサービス業に移ると、こんなに惨めな成長経路しか描けなくなるものだろうか。そもそも、製造業による巨額の資金需要をまかなうために発展した金融業が、製造業のピークアウト後も肥大化を続けていること自体がおかしいのではないだろうか。アメリカ型ではないサービス業主導経済のあり方を、身をもって実践している先進国がある。それが日本だ。


 まず、日本でも欧米諸国同様、製造業の地位が低下し、第3次産業(広義のサービス業)の地位が上昇していることを確認しておこう。次のグラフは、上段が第3次産業活動の水準を示し、下段が製造業(工業)活動の前月比変化率を示している。

 




 第3次産業は、多少のでこぼこを示しながらも、2019年半ばごろまでは、ほぼ順調に活動を拡大してきた。このグラフが対象としている期間は、日本と世界が、バブル崩壊の直前から阪神淡路大震災、ハイテク・バブルの崩壊、国際金融危機、東日本大震災、ユーロ圏ソブリン危機とたて続けの激震に見舞われた時期だった。それを考えると、この成長軌道は非常に堅固なものだったことがわかる。また、日本の第3次産業活動が急落に転じたのは、コロナ騒動のあとではなく、その直前の2019年後半だったことにも注意しておきたい。


 一方、下段の工業生産高の前月比変化率は、製造業の減速がバブル崩壊よりはるかに早く、1960年前後に始まっていたことを示している。そして、1990年代には減速が停滞に転じ、2000年前後にはときおりの大きなマイナスをその後の反発でも取り戻せなくなっていたことがわかる。全体として、日本経済もまた、製造業主導からサービス業主導に変わってきたのだ。


 大筋では、第3次産業の地位向上という共通点をもちながらも、日本はアメリカとは大きく異なる成長経路をたどってきた。最大の差は金融業が国民経済全体に占めるシェアだ。

 


 

 これは、200518年の日本のさまざまな産業分野と政府部門の生み出す付加価値が、GDP全体の何パーセントを占めていたかを示す表だ。このシリーズ初回にご覧いただいたアメリカの同じテーマのグラフと比べて、だいぶ対象期間は短い。だが、重要なポイントは浮かび上がってくる。


 日本でも製造業付加価値額のGDPに占めるシェアは低下している。だが、アメリカが1213%に落ちているのに比べて、しぶとく20%台を維持している。最大の理由は、日米両国のエネルギー消費量の差だろう。アメリカの製造業は同じ生産高を達成するのに必要なエネルギー資源消費量が多いので、製品の国際競争力が弱い。一方、日本は製品1ドル分に対するエネルギー消費量がいまだにアメリカの半分程度で済んでいるので、製品の国際競争力も強いわけだ。


 もっとおもしろいのが、日米両国の金融業のシェア推移だ。双方とも1980年代を通じて、かなり金融保険業のシェアが伸びていた。日本がバブルの頂点に立っていた198990年の統計では、日本とアメリカの金融・保険業のGDPシェアはともに12%程度だったはずだ。ただ、前にご紹介したアメリカ経済における産業部門別付加価値シェアのグラフでは、金融保険だけではなく不動産業が込みになっていたので、金融保険だけを数えた場合に比べて56ポイント高く出ていた。


 ところが、日本でバブルが崩壊した1990年代以降は、両国の金融業が国民経済に占めるシェアは正反対の動きとなった。アメリカの金融保険業はどんどん伸びつづけたのに対し、日本の金融保険業は縮小しつづけたのだ。その結果、日本の金融保険業の付加価値シェアは、2005年の5.8%から、2018年には4.2%にまで下がっていた。


 バブル崩壊後の日本経済の成長率が低迷している一因が、金融保険業の縮小であることは間違いなさそうだ。だが、それは日本国民全体にとってほんとうにマイナスなのだろうか。先進国が共通して立ち向かわなければならない試練に先に直面したというだけのことなのではないだろうか。   


次回 「根無し草になった金融業の繁栄に迫るたそがれ」完結編

  金融業片肺飛行の英米にも銀行不要の経済が迫りつつある 11/21 更新

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