ご質問にお答えします――その1 日本はAIなどの先端技術開発競争で負けてしまうのでは ないでしょうか?
大変遅ればせながら、あけましておめでとうございます。どうしても緊急出版しておきたい本が2冊重なってしまい、長いこと投稿できなかったことをお詫びします。罪滅ぼしにもなりませんが、すばらしいご質問をいただきましたので、『ご質問にお答えします』という新企画を始めることにしました。
ご質問の趣旨は、第1回のタイトル通りです。「経済はなるべく放っておくことが最良の方針だ」という私の年来の主張にも大いにかかわるところですので、いろいろデータも調べながら、なるべくていねいにお答えしていきたいと思います。
1. AI技術をアメリカや中国に先行された場合に、日本企業が一気に下請け企業になってしまうということは考えにくいのでしょうか?(例えば、自動運転技術をアメリカが先行した結果、日本の自動車メーカーがその技術に頼らざるを得なくなってしまうなど)
このご質問については、まず重厚長大型製造業全盛期と現代では最終消費財メーカーと資本財・中間財メーカーの階層序列的なものが様変わりしていることからご説明します。たしかに、1980年代ごろまでは重厚長大型製造業各分野に世界市場で大きなシェアを持つ最終消費財メーカーが君臨していて、資本財・中間財メーカーはまさに「下請け」としてこき使われる存在でした。
技術革新が最終消費財メーカーの抱える優秀な研究陣の構想に大きく依存し、資本財・中間財メーカーは、その構想の実現のためにあてがわれた役割を果たす副次的な存在でした。
この傾向が一変したことがいちばんはっきりわかるのは、半導体の世界です。昔は、電子機器・情報通信機器・コンピューターメーカーに、まさに顎で使われていて、やっと要求水準を満たす大容量化・小型化を達成したかと思うと、さらに大容量化・小型化したIC製造のための次の設備投資で利益の大半を吐き出さなければならないという業態でした。
また、半導体メーカーの中でも、もっとも総合性の高いインテルがマイクロソフトと組んだことの恩恵もあり「インテル入ってる」のコピーで、この狭いニッチ産業の首位企業として君臨していました。ところが、最終消費財メーカーからの微細化の要求にこたえられずに脱落する競合企業の数が増えるにつれて、半導体そのものの製造に特化し、それ以外のことは一切やらないファウンドリーと呼ばれる専業企業が、収益性を高めながら、微細加工の極限の分野で圧倒的なシェアを持つようになっていったのです。
2020年はついに半導体・同製造装置という狭いニッチ分野の時価総額が、エネルギー関連という典型的な重厚長大分野の時価総額を抜くという、記念すべき年となりました。次のグラフでご覧いただけるとおりです。
しかも、この偉業の原動力となったのはインテルやサムスンといったおなじみの企業ではなく、創業も1987年と新しく、1990年代には群小企業の1社でしかなかった台湾半導体でした。2019年末にインテルとほぼ同時に3000億米ドルに到達したところまでは、やや台湾半導体の株価上昇率が高い程度でした。ですが、2020年に入ってからは、台湾経済全体が新型コロナウイルス対策でアメリカよりはるかにうまく対応できたこともあり、またインテルのCEOが極度に無能だったこともあって、株価に次のグラフで見るほどの大きな差がつきました。
総売上では台湾半導体はまだインテルの6割程度の3位で、そのあいだには半導体業界2位のサムスンが入ります。ですが、サムスンは主力部門がアップルに対する万年2位に甘んじている携帯ということもあり、利益率や収益成長率では台湾半導体がこれら2社を大きくリードしています。
半導体の微細化もナノメーターで測って1ケタとなると、静電気によって付着した極小サイズのごみを超純水で洗い流すことができず、台湾半導体が「ドライクリーニング」と名付けた独自開発の技術を使います。この技術の開発に当たっては、同業大手各社が手慣れた手法である超純水洗浄にこだわっていたのに対し、後発だった台湾半導体は液体による洗浄に見切りをつけて乾燥したままでのごみの吸い取り技術を完成させました。むしろ、後発の利点を生かしたと言えるでしょう。その結果、同社は半導体メーカーの中でも、とくに採算性の良い7ナノメーターや5ナノメーターという分野では、世界市場の5割超のシェアを確保しています。
私は日本メーカー一般が「下請け化」することを怖がって、専門分野に特化する努力を怠っていたとは思いません。カーボンファイバー、光ファイバー、ファインセラミックといった分野では、専門特化に成功した事例も多いのですから。結局、電機・電子機器の最終製品という華やかな産業での成功体験が日立、東芝、NECのような大手総合電機メーカーの現在の惨状を招いたのでしょう。しっかり独自技術を確立すれば「下請け」だからといって大手消費財メーカーに値切られっぱなしになるはずはないと思います。
クルマの自動運転については、おそらくアメリカで十分な研究開発資源を持っているのは、テスラ1社だけでしょう。往年のビッグ3は、全然ダメです。またアップルやグーグルが何を宣伝しようと、重いものを運ぶ技術の蓄積がない企業には、クルマは扱えません。ドイツは挙国一致で「デーィゼルはガソリンより燃費も環境負荷もいい」という大ウソを宣伝させられてから、自動車会社の技術陣に対する不信が強くなり過ぎました。
もし、自動運転が可能であるとすれば、国内で研究開発競争をするメーカーが少なくとも3~4社ある日本が、いちばん実用化に近いところにいると思います。
2. AI関連の特許数では日本企業は今のところだいぶ善戦しているようですが、基礎研究を他国に先行されてしまうと、長期的に日本の技術力が衰退する心配はないのでしょうか?特に、これもマスコミが吹聴しているだけという可能性はありますが、日本は基礎研究に弱いと言われていたりします。
まずAIのみならず、あらゆる分野の特許取得件数、および特許による知的所有権収入で日本は断トツです。次の表を見ると、アメリカにはなかなか追いつけないし、急成長する中国にも抜かれたパッとしない3位が日本の定位置という印象があります。
そして、次のグラフは、とうとう2019年には中国がアメリカを追いこして1位になったのに、日本は横ばいのアメリカにも追いつけないというますます情けない状況に見えます。
しかし、私はこの点で閉塞感を感じる必要はまったくないと思います。なぜかというとアメリカも中国も取得した特許の半分以上、おそらく7~8割は取得したもののまったく企業収益に貢献していない休眠特許であるのに対して、日本(そして、この点では韓国も健闘しています)の企業が取得した特許は、はるかに多くが収益に貢献しているからです。
アメリカで休眠特許が非常に多いのは、制度的枠組みが極度な先願主義になっており、上手に作文すれば「こういうものがあればいいな」程度の申請が通ってしまうからです。アメリカには特許取得だけに専業化して、実用化努力はまったくせず、どこかほかの企業が自社の特許に抵触する製品や製法を開発してくれるのを待って訴訟に訴えることで生計を立てている個人、組織、団体がたくさんあります。
ご覧の通り、2008~09年を境に、まったく開発努力をしないで他社が開発してくれるのを待って訴訟に訴える組織や団体が起こした訴訟で被告にされてしまう企業のほうが、開発努力をしている同業他社の起こした訴訟の被告となった企業より多くなってしまいました。もちろん、研究開発を活発にやって業績もいい企業が集中的に狙われるわけで、次のグラフにも出ているとおり特許権がらみの係争件数は、被告の社数よりはるかに急激に伸びています。
特許を取得しながら、まったく開発努力をしない連中は、自分が取った特許によって経済全体が豊かになることを妨害しているわけです。ですから私は、その特許を現実に生かす製品や製法を開発してくれた企業に謝礼を出すべきではないかと思います。でも、弁護士たちが強力な利権集団を形成しているアメリカでは、取得した特許で和解金、示談金、賠償金をせしめることを狙った連中にも、研究開発に積極的な企業にも弁護士集団がついて稼いでいるわけですから、こういう理不尽な慣行がいつまでも続くわけです。
その結果は、金銭的にも時間的にも大きな損失が社会全体にかかってきます。次のグラフが示すとおりです。
日本はどうでしょうか。アメリカよりはるかに低いことは確実で、おそらくドイツと比べても、特許権をめぐる係争の金銭的コストは低いのではないでしょうか。時間的にはけっこうコストが大きいかもしれませんが。
中国の休眠特許の多さは、おそらく現段階での知的生産性の水準の問題でしょう。あるいは、一人っ子政策がまかり通っていたころと同じようなインセンティブで、無理やり国民全体の特許取得熱をあおっているのかもしれません。一人っ子政策実施中には、夫婦のどちらかが博士号を持っていれば、何人子どもを産んでもOKという特例があったので、中国人の博士号取得者が顕著に増えたという事実があります。現在では、「特許取得1件につき社会信用点数何点かを加算」というような特例があるのかもしれません。
なお、日本企業による特許取得件数の多さに関しては、ムダ弾が少ないとともに、多数の特許を取得する企業が各業界に数社ずつ存在するという層の厚さも特筆すべきでしょう。次の表は、アメリカでの特許取得件数トップ60社を選び出したものです。
本拠地で戦っているアメリカでさえ60社中28社と半数を超えていないのに、2位の日本は18社と、大健闘しています。その下は韓国が4社で3位、中国とドイツが3社ずつで同率4位、1社ずつの同率6位が台湾、スウェーデン、オランダ、フィンランドと、はるか後方に置かれています。トップ60社に1社も入っていないイギリスやフランスの凋落ぶりも目立ちます。
「日本は基礎研究が弱い」というのは、なんでも日本には悲観的、諸外国には楽観的なほうが日本の知識人に受けがいい議論の典型でしょう。でも、実証的にはあまり根拠はありません。
たとえば、基礎研究の最高峰とも言うべきノーベル賞で見ると、日本は通算受賞者数では、旧ソ連をふくむロシアの下の7位と、かなり下に位置しています。でも、2000年以来の受賞者数で見ると合計20人で、135人でトップのアメリカには遠く及びませんが、34人で2位のイギリスにはかなり接近しています。次の表でご覧いただけるとおりです。
この点についても、「最近の受賞者や主として1980年代から90年代の業績によるものなのでまだ健闘しているが、今後21世紀の業績に対する受賞者は激減するだろう」とおっしゃる方もいるようです。ですが、私は、今後の受賞者はますます英語を母語とする諸国民と、日本人に限定されていくと思います。
1990年代以降は、基本的に母語で学術論文を書けるのは英語国民と、日本人と中国人に限定されてしまっています。ヨーロッパで高等教育を受けた人たちの大半は、母語にかかわらず英語でしか論文を書けません。母語では学術論文としてのマーケットが狭すぎるからです。ドイツ人・フランス人受賞者の激減は、母語で論文が書けないことのハンデの大きさを如実に示しています。
私もほんの少しだけ、英語で論文を書く経験をしました。生まれつき話してきた言葉以外で書く文章は、発想までも借りもの、あるいはよそ行きでつまらないものになってしまうという実感があります。
中国は14億人の国民がいて、研究者人口も多いので母語で論文を書くことはできます。けれども、まだ全体として学術研究の蓄積も浅く、同輩による査読(peer review)が、低水準論文の量的拡大に貢献してしまう段階だと思います。
ひとつの不安材料は、アメリカが完全に贈収賄が合法化された国になってから、学術研究も大企業や大財団からの補助金・助成金の取りやすい研究に捻じ曲げられて、ノーベル賞自体の権威も実社会への貢献度も下がることです。その点で心強いのは、日本は、イグノーベル賞ではさらに米英に接近した3位だという事実です。イグノーベル賞が取れるような研究は、めったに大企業のひも付きにはならないでしょう。
世界知的所有権機関は毎年『世界イノヴェーション指数』という年鑑的な出版物を刊行しています。その2020年版で、日本の順位が前年の9位から一挙に7ランクも下がって14位の中国より下の16位になったのは、ほんとうに不思議です。
理由としてはますます英語でしか学術論文の書けない研究者が増えているために、日本語で書かれた論文はどんなに内容が良くても同輩研究者に引用される機会が少ないことが、考えられます。ですが、これは母語以外で論文を書くことの深刻な弊害に比べれば、甘受すべきハンデと見るべきでしょう。
もう一つ大きな理由として、日本の金融業界が非常に鈍重なために、未公開株ファンドやベンチャーキャピタルなどの革新的な企業の立ち上げを支援するシステムが諸外国に比べて遅れていることが挙げられそうです。こちらはむしろ、ハンデどころか、プラスだと私は感じています。
この点は、ご質問の3と密接に関連してきます。
3. 日本企業については総じて内部留保が積み上がっていると記憶していますが、その一部を使ってギャンブルをしようという企業は日本からはあまり出てこないのでしょうか?また、出てこないとしたら、その理由はどういったものだとお考えでしょうか?
ご質問のとおり企業の内部留保は日本だけではなく、欧米でも溜まりに溜まっています。おまけに、超低金利でじゃぶじゃぶの量的緩和と来れば、もし「ここに投資すれば確実に儲かる」といった分野があれば、とっくに資金が付いているはずです。もう少し細かく言えば、そういう分野はあるけれども、クラウドファンディング程度の少額資金で十分賄える程度の事業規模が最適な分野ばかりで、巨額の資金調達を必要とする有望分野が非常に少ないということです。
GAFAとかFANGMANとか呼ばれる人気「ハイテク」企業のあいだで収益貢献度の高かった技術革新のトップ2がどんなものだったか、ご存じでしょうか?
ひとつ目は、グーグルが開発したもろもろの疑問を持った利用者が検索エンジンを使う際に出くわすさまざまな回答や参考資料を、アルファベット順でも、投稿日時順でもなく、クリック数の多かった順に自動的に並べ替えていくアルゴリズムだそうです。ふたつ目は、アマゾンが開発したどんなに膨大なカタログをネット空間に展開しても、顧客は自分の欲しいものをたった1回クリックしただけで注文が完了するワンクリック・オーダーシステムだそうです。
どちらも気の利いた工夫ですが、これが「ハイテク」と首をひねりたくなる内容です。おそらく研究開発費もそれほど多くなかったでしょう。現代の花形「ハイテク」企業は、意外にローテクなのです。というか、本気でハイテクの道を突っ走ろうとしたら、休眠特許があちこちにばら撒かれている地雷原を強行突破する覚悟がいります。
アメリカの経済・社会風土がこれほどほんもののハイテク企業は育ちにくい環境になってしまったことの背景には、弁護士たちという強力な利権集団の存在に加えて、人間の欲求や願望の対象が物理的なモノから体験したいコトへと移行しているという事実があります。モノは大量生産すると安くて均質で競争力の高い製品になります。ですが、体験したいコトは個人、個人で千差万別、むしろ規模の不経済が働いてしまうことが多いでしょう。
つまり、重厚長大産業華やかなりしころのガリバー型寡占には、大量生産→均質で価格競争力の高い製品による市場シェア拡大→ますます巨額の設備投資によるさらなる競争力強化という経済合理性がありました。現代の「ハイテク」ガリバーは、たまたまつかんだニッチを独占することに特段の必然性はないのに、政治家を買収して自社に都合のいい法律制度をつくらせて、顧客を(あるいは自分では顧客だと思いこんでいるだけのカモを)つかまえ続けていられるだけの、経済合理性の薄弱なガリバーたちです。
そういうところに、無理やりにでも巨額資金をつぎ込んで足もとの弱いガリバー候補をもっと多数選び出し、あわよくば大企業に育ててしまおうというのが、ベンチャーキャピタルであり、未上場株ファンドであり、特別買収目的会社です。もちろん、思惑どおりに進むことはめったにありません。ですが、ガリバー候補は赤字経営のまま新規上場しても、必ずと言っていいほど上場後1~2営業日のうちに売り出し価格よりはるかに高い株価で売り抜けることができ、あとは野となれ、山となれでも、ベンチャーキャピタルや未上場株ファンドや特別買収目的会社の経営は十分成立します。
日本の金融業界が鈍重でなかなかそういう方向に進まないのは、歓迎すべき事態だと思うゆえんです。
4. うまくいきそうになってから乗り込んでも問題ないとのことですが、それまでに市場が取られてしまっているということはないのでしょうか?例えば、AIではありませんが、スマホでは、日本は世界シェアをほとんど持っていないですよね。(スマホの部品という意味では群を抜いていると思いますが)先行したアメリカなどに美味しい市場を持っていかれて、日本は技術的にも市場的にも追いつけないということにはならないのでしょうか?
現代経済で世界規模の巨大企業を輩出している国を見ると、アメリカ、中国、韓国と利権経済化した国々だけです。韓国だけは、東アジア経済危機に際して乗りこんだIMFによって、電機・電子機器のサムスン・LG連合、自動車の現代・起亜連合以外は全部潰すという荒療治で利権経済化されてしまったという点で、情状酌量の余地はあります。でもアメリカと中国は政権中枢と基幹産業の大手企業が結託して自発的に作り出した利権経済で、その分罪も重いし、当事者も腹をくくってワイロと既得権益のバラマキであくまでも巨大企業に有利な経済を維持しようともくろんでいます。
携帯電話におけるアップルによるタッチスクリーン型(スマホ)機器の開発は、たしかに独自性のあるものでした。ですが、その後のさまざまな改良の積み重ねの中で、日本の電子機器メーカーが1社として大手にならなかったのも、フィンランドのノキアが大手にならなかったのも、問題の核心は技術革新の遅れではありません。日本の電子機器市場は特定企業が政治権力と結託して他社より有利な立場に立てる構造ではなく、フィンランド市場ではノキアにそれができたとしても、世界市場に比べて狭すぎたというだけのことです。
アメリカや中国で既得権益のしがらみにどっぷりと浸った連中がほんとうに画期的な技術革新をできるかというと、大いに疑問です。また、世上言われているAIとか、第4の衝撃とか、シンギュラリティ・ポイントとかは、全部誇大宣伝です。近代資本主義の歩みを(1)軽工業の機械化、(2)水陸輸送システムへの蒸気機関の応用、(3)電化、そして(4)情報通信テクノロジーの発展の4段階に分けて考えましょう。
経済発展に最大の貢献をしたのは、間違いなく(3)電化です。明かりを灯もすとか、音を拡大するとかの従来からできていたことをはるかに強力にやれるようにうなっただけではなく、瞬時に遠くのものを見たり、遠くの音を聴いたりといった今までなま身の人間にはできなかったことをやってのけ、電流さえ通じている場所ならどこでも、ざまざまな仕事を人間や家畜よりはるかに強力に、正確にやってのけたからです。
情報通信技術の発展は、なま身の人間がやることの中でも比較的時間も労力も少なくて済む、論理的整合性を持って何か仕事をするときの段取りを立てるとか、加減乗除から高等数学までの計算をするとかを、なま身の人間よりはるかに早く、はるかに大量に、はるかに正確にできるようにしただけです。
この点は、全要素生産性(TFP)の長期推移に関する各種の調査研究にはっきり表れています。まず次の折れ線グラフをご覧ください。
全要素生産性というのは、労働力の量、資本の質と量を一定に保ったままでも出ていたはずの経済成長率を算出するための概念です。もしインプットが同じなのにアウトプットが拡大していたら、その拡大は生産性の向上によるものだという論理です。ご覧のとおり、この全要素生産性が近代資本主義経済のもとでいちばん大きく高まったのは、第二次世界大戦後の日本とユーロ圏でのことでした。第二次世界大戦で生産インフラを根こそぎにされた敗戦国、ドイツと日本で、生産・生活インフラが一挙に電化されたために、非常に大きな生産力拡大効果が生じたのです。
それに比べると、情報通信テクノロジーの「画期的な進歩」の恩恵は、最大の享受者であるはずのアメリカでさえ、五月雨的に電化が進んだ第二次世界大戦直前や、蒸気機関の実用化がほぼ一巡した第一次世界大戦直前のピークより低いのです。そもそも人間の経済活動にとってボトルネックであることがめったにない、知的能力を使って段取りをつけ、計算をすることがどんなに早く正確にできても、他の分野で人間が手足を動かしてする仕事のボトルネックを解消する効果はほとんどないからです。
また、このグラフからは後発性の優位もはっきり読み取れます。最先端にいたアメリカでは、電化は各産業分野でバラバラに進みました。その結果、すでに第二次大戦前に経験していた電化による生産力拡大効果のピークは、ドイツや日本で戦後いっせいに導入された電化された生産・生活インフラのもたらした生産力拡大効果よりずっと低かったのです。
最後の4枚の棒グラフは、4大経済圏の全要素生産性をさらに細かく、成人の平均教育年数(長ければ長いほどプラス)、資本装置の平均年齢(若ければ若いほどプラス)、居住者一人当たりの電力生産量(多ければ多いほどプラス)、情報通信テクノロジーの普及度(普及が進むほどプラス)とわけ、それでも説明できない変化をTFPダブルダッシュとして表記したものです。
この細分化した4項目は、決してやみくもに選ばれたものではありません。たとえば、成人の教育年数などは、いかにも地味で「この程度の数字ならどこの国にも揃っているから使ったのだろう」と思われるかもしれません。
現在アメリカでは、世界中から若くて優秀な学生を一流大学の大学院に招いて、精力的に研究活動ができるうちの成果をアメリカで出させて、とくに優秀な学者になったら永住させるといった「教育政策」を国策としてやっています。さぞかし経済成長の加速に効果を発揮するだろうという気がします。ところがこうしたエリート主義的な教育政策の経済浮揚効果は微々たるもので、逆に初等・中等教育の普及拡大には、絶大な効果があるのです。
この4項目でもすくい取ることができないTFPダブルダッシュは、いったい何でしょうか。おそらく、社会全体の雰囲気が大きいと思います。平穏で安定した日常生活を営める社会か、突発的な事件で日常生活がかき乱されることの多い社会かといったことです。
日本のグラフを見ていてとてもおもしろいのは、第一次世界大戦、1930年代大不況、第二次世界大戦、そして戦後の極度の国土荒廃と続いた1913~50年には若干マイナスだったTFPダブルダッシュが、1950~75年の高度成長期に爆発的なプラスに転換していることです。
この変化を見ると「日本は戦前からすばらしい国だった」という議論にはやや無理があると感じます。物質的にはすさまじい状態から再出発した戦後日本は、やはり暗かった社会が明るくなったという非常に計量化しにくい実感が高度経済成長を支えていたのではないでしょうか。
逆にアメリカ社会がいちばん明るかったのは、ふたつの世界大戦と30年代大不況のあった1913 ~50年でした。
アメリカ国民の好戦性というか、戦争があってやっと国民が一致団結する気風のようなものを感じます。さらに、ハイテク・バブルを挟んだ11年間である1995~2005年を唯一の例外として、アメリカ社会の明るさは一貫して低下してきました。
そして、20世紀から世紀への転換点でもある1995~2005年という期間の情報通信テクノロジーの生産性向上への貢献度は、1950~75年、1975~95年の貢献度より低かったのです。おそらく、ソ連東欧圏の崩壊以外にはほとんど説明のつかない不思議な明るさを説明するために持ち出されたのが、情報通信テクノロジーの画期的な進歩という神話であり、マイクロソフト、アップル、グーグル、フェイスブック、アマゾンなどの大した技術力の蓄積があるわけでもない企業群の偶像化だったのではないでしょうか。
このグラフのカバーする範囲内では、アメリカは次第に明るさが薄れていく社会にとどまっていました。ですが、トランプ再選をめぐる2020年大統領選の混乱を経て、現在のアメリカは民主党リベラル派、共和党保守本流、トランプ支持派の3勢力のあいだに深い亀裂の入った暗い社会です。どうも、大戦争を起こしてバラバラになったアメリカ国民をもう一度団結させようという勢力が台頭しそうな気がします。
イギリスの特徴は、ほとんど世界中が明るくなった第二次世界大戦後の1950~75年が、大英帝国の負の遺産の清算に追われるあまり明るくない時期だったことです。
さらにサッチャー政権のもと、大胆な製造業の切り捨てと金融業中心のサービス化経済を目指したため、1995~2005年の情報通信テクノロジーの経済成長への寄与率はアメリカ以上に高まりました。ただ、その反動もあって、2005~10年には、第二次世界大戦後の先進国としては珍しく、全要素生産性がマイナス成長に転じています。つまり同じ量の労働と同じ質・量の資本を投入していたのでは国内総生産が減少してしまうほど、経済全体が低迷していたのです。
1975~2005年の明るさが、サッチャー改革への期待や、EU巨大経済圏統合への期待などの結局は想定どおりには進まなかった変革への期待に立脚していた形跡が濃厚です。それだけに、EU圏から離れて単一の国民経済としてどこまで地盤沈下を食い止めることができるのか、問題は山積しています。
ユーロ圏は、東西ドイツの対等合併という経済的には非常に疑問の多い統一ドイツの実現までは、日本よりやや低いけれども米英に比べれば成長性の高い経済を維持してきました。しかし、東西ドイツ統合後は、経済面での大黒柱というべきドイツの成長鈍化が顕著です。また、おそらくは比較的狭い地域内に多くの異なる言語圏が混在しているためでしょうが、一貫して情報通信テクノロジーの普及が経済にもたらす恩恵は小さかったのです。
ユーロ圏誕生以前から歴然として存在していたドイツ、オランダなどの経常黒字諸国と、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャなどの経常赤字国との溝は深まる一方で、おまけにドイツは内なる南北問題とも言うべき、旧東ドイツ地域がほとんど旧西ドイツ地域に経済面でキャッチアップできていないという問題を抱えています。また、すでにアメリカでの特許申請件数が示すとおり、ドイツ、フランスの大企業は技術力が深刻に低下しています。
1989~90年のバブル崩壊以降、日本経済は丸30年間に及ぶ長期経済低迷を余儀なくされました。にもかかわらず、日本の技術力はおそらく4大経済圏の中でもっとも堅実に発展しつづけています。この技術力は、政府や大企業主導のビッグプロジェクトではなく、中小零細企業が冷えこんだ消費を活性化させるために使うとき、もっとも効率的に経済成長を促進するのではないでしょうか。
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