アメリカ郊外の家は、クルマのもの? 人間のもの?
今晩は、今日はアメリカ郊外でよく見る不動産広告写真と、道路について書こうと思います。
家の持ち主は人間だろうか、クルマだろうか?
不動産広告写真には、物件の魅力をいったいだれに訴えたいのかが露骨に出ていて、興味深いものが多いです。
そこでアメリカの典型的な郊外で売り出されている物件は、いったいだれにとって快適な住まいを提唱しているのかを探ってみましょう。
なお、3枚の物件写真についたキャプションは、もちろんオリジナル版の直訳ではありません。オリジナルのキャッチコピーを参考にしながら私なりの解釈を加えたものです。
クルマだって、人間だもの?
まずは、クルマだって人間らしく生きたいと思っているはずだという発想の物件写真です。
スペース配分にしても、道路からのアクセスにしても、圧倒的にクルマ優位ですが、でも、コピーライターは
「クルマはきっと、人間が住むようなおうちに住みたいんだろうな」
と想像しているわけです。
だから、車庫へのほめ言葉として「まるでおうちみたい」というフレーズが出てくるわけです。
つまり、もう家庭生活の実権は人間よりクルマが握っているけど、成り上がり者のクルマは、かつてのご主人様だった人間のように暮らしたいと思っているという設定です。
もうちょっとクルマ社会化が進行した状態での物件広告を見てみましょう。
人間も便利に収納できます
そうとう重度の肥満体の方でも窮屈な思いをしてクルマの中に自分の体をねじ込む必要がないということで、アメリカでは大型SUVが大人気です。
たしかに車高も高く、ドア幅も広い大型SUVは車庫入れも大変でしょう。
チマチマした日本の車庫付き住宅では、かなり運転の上手な方でないと、あちこちにぶつけてしまうかもしれません。
ただ、いくらなんでも道路際から車庫正面までに、これだけ広々としたまっ平らな舗装面が必要なものでしょうか。
まあ、そこまではいいとしましょう。
それにしても気がかりなのは、2階の人間が住むスペースがどの程度の広さで、どう昇っていくのかについて、まったくなんの言葉もないことです。
まるで人間は場所ふさぎで収納するのがやっかいなモノ扱いだというのは、私のやっかみですが。
心温まる照明は誰のため?
さあ、おクルマ様のための物件選びも、いよいよ佳境に入ってきました。
前の2件に比べると、明らかに完成度の高い「住宅付き車庫」、(失礼、車庫付き住宅でしたね)の写真です。
設計で主役を務めたのは建築士ではなく、デザイナーだったかもしれないと思わせるような佇まいを、柔らかな照明が浮かび上がらせています。
人間も屋根裏収納だけではなく、階段を昇らずに入れる居場所を確保してもらっていて、こういう優しいクルマと一緒に暮らせる人はしあわせでしょう。
でも柔らかな照明の位置をご確認ください。どの住戸を見ても、「こことここのあいだにお入りください」と、車庫入り口の両側に灯っています。
まるで人間が酔っ払い運転をするのではなく、アルコール度の強いガソリンを呑んだクルマが足元のおぼつかないときでも、しっかり帰りつけるようにと配慮しているみたいです。
そうか、思い出しました。
人間はまったく手も触れず、気にせずにいられる完全自動運転の実用化は、まだまだ遠い先の話でしたね。
アメリカ的生き方ってクルマが人間になることじゃないんですか?
最後は、圧倒的な迫力の道路俯瞰写真です。
これはもう、ぐだぐだご説明する必要はないでしょう。
道路沿いに住んでいるクルマたちには、便利で快適な生活なのでしょうが。さすがに人間にはちょっと不向きなようで、居住用物件はまったくなさそうですね。
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