歌はヴァースから その1 As Time Goes By

こんばんは
今日はちょっと趣向を変えて、新しいシリーズを始めようと思います。

このタイトルは、阪神タイガースのOB会である猛虎会がカラオケパーティを開くときには、日本プロ野球史上最強の助っ人だったランディ・バースに敬意を表して、かならずバースに歌いはじめてもらうという意味ではありません。

あちらはバース(正確にはベァス:Bass)、こちらはヴァース(verse)で、つづりも発音もまったく違いますからね。

ヴァースはとっても大事です

タイトルの意味は、ジャズ詩の良さをきちんと味わうには、ヴァースがついているかぎり、絶対ヴァースから読みこんでいくべきだということです。

ヴァースとは、ふつうのポピュラーソングの場合、A-A'-B-Aの4つの塊から構成されるコーラスの前に振られた、長短さまざまな導入部のことです。

オペラではレチタティーボ(独唱とか朗唱とか訳すらしい)と呼ばれて、ストーリー展開を追うには、コーラス部分よりずっと重要なことが多いのです。

というより、むしろもともとこの部分のほうが本当の意味の唄であって、コーラス(合唱)というのは、この唄にみんながつける合いの手とか、おはやしとか言うべき軽いものだったようです。

これは、日本民謡の音頭形式ともまったく同じ構成ですね。

「ハァ、どうした、どうした」とか「アラエッサッサー」とか「ぎっちょんちょん」とかが異常なくらい膨れあがってしまって、ヴァースの影が薄くなったのが、現代のポピュラーソングというわけです。

さて、前置きが長くなりましたが、シリーズ第1回としてはハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマン主演の戦争メロドラマ映画の名作『カサ・ブランカ』(1942年)に挿入歌として採用されて、一躍ヒット曲となったハーマン・ハプフィールド作詞・作曲の『As Time Goes By』(1931年)を取り上げましょう。

この、たぶんCDではなくLPジャケットに出ているドゥーリ―・ウィルソンがピアノ弾き語りで歌ったことになっています。



じつはドゥーリ―はドラマーだったので、ピアノは弾けず、エアピアノとでもいうのでしょうか、弾くふりをしていただけだそうです。

この曲のタイトルについても、いまだに『時の過ぎゆくままに』という字幕スーパーどおりの邦訳を採用している人もいます。

でも、歌詞の内容を読めば、これはどう考えても、「時の過ぎゆくままに」とか「時の流れに身を任せ」とかの従順に時代の変化を受け入れる曲ではありません。

どんなに時代が変わっても変わってはいけないものもあるんだという、かなり突っ張った主張をしている曲だとお分かりいただけると思います。

つまり、『時は過ぎ去っても』とか『時は過ぎゆけども』と訳すのが正しい邦題だということです。

そのへんについては、コーラスだけを訳しても注意深く意味を汲み取ろうとすれば、わかるはずです。

ただ、この歌の詩をヴァースから全部訳していけば、もっとはっきり「時の流れにさからってでも、守らなければならないものがある」という主張が伝わってくるでしょう。

原詩と邦訳を書き並べていきましょう

This day and age we’re living in
Gives cause for apprehension
With speed and new invention
And things like third dimension

我々が生きている今日この頃は、
スピードとか、新発明とか、
ましてや三次元なるものとか
不安を感じることばかり

(とっぱじめから、あまり歌の歌詞には出てこないような単語ばかりで「エンション」という2音節の脚韻を踏んで、さあ理屈っぽい話をしますよと大上段に振りかぶっています。

ついでに脚韻を引き継げば、tensionたっぷりな歌い出しですね。)

Yet we get a trifle weary
With Mr. Einstein’s theory

So we must get down to earth at times
Relax relieve the tension

でもアインシュタインさんの理論なんかばかり
聞かされていると、ちょっとくたびれやしませんか?
だから、足を大地におろして
リラックスして緊張を緩めましょうよ

And no matter what the progress
Or what may yet be proved
The simple facts of life are such
They cannot be removed

そして、進歩だとか、まだ証明されていない
まったく新しい真理だとかの話がどう転ぼうと、
人生の単純な事実がコロコロ
目まぐるしく変わっちゃいけないでしょう

(と、ここまでがヴァースです。
私の個人的な趣味で言えば、この歌ってヴァースがこれだけ理屈っぽいから聴けるんであって、コーラスのほうはちょっとクサいくらい陳腐な常套句が並んでいると思うんですけど。)


コーラスはだいぶパワーが落ちます

You must remember this
A kiss is still a kiss
A sigh is just a sigh
The fundamental things apply
As time goes by

覚えておいてくださいね
キスはいつの時代にもキス
ため息もやっぱりため息
こういう基本的なところは、どんな時代にも変わらないってこと

(作詞・作曲のハプフィールドは、結局この曲ひとつしか後世に残さなかった一発屋でしたが、あまり「歌の文句」には出てこないfundamentalなんてお堅い単語をポロっと入れるところに作詞家としての特徴があります。)

And when two lovers woo
They still say: “I love you”
On that you can rely
No matter what the future brings
As time goes by

そして、恋人同士が愛のことばを交わすとき、
今でもアイ・ラヴ・ユーって言うし、
これは絶対変わらないって信じられるから、
たとえ未来がどんな世の中になっても、
時が過ぎゆくにつれて

(さて、ちょっと、いや大いに歌詞が陳腐になっていくのはここからです)

Moonlight and love songs – never out of date
Hearts full of passion – jealousy and hate
Woman needs man – and man must have his mate
That no one can deny

月の光と恋唄には流行りすたりがない、
熱情、嫉妬、憎しみで一杯になった心も、
女には男が必要で、男にはまぶだちが必要だってことも
だれにも否定はできない

(伊藤アイコさんの訳詩はこの3行目を「女は男と必要とし 男は伴侶をさがしもとめる」とハッピーエンドになりそうにきれいにまとめています。

でも、『カサブランカ』のストーリーを追うまでもなく、ここでは男のほうは「男には女の愛より、大事なものがあるんだ」と見栄を張っていると考えたほうが自然じゃありませんか。

しかもそれは、男同士の友情だとか、平和で正義が正義として通る世の中を取り戻すことだとかの高尚な話じゃなくて、「昔振られたのに、今さらよりを戻すなんでカッコ悪い」というやせ我慢だったりして。)

It’s still the same old story
A fight for love and glory
A case of do or die
The world will always welcome lovers
As time goes by

だから結局はおなじみの話、
愛と名誉のための闘い、
生きるか死ぬかの分かれ目、
それでも世界はいつも恋人たちを歓迎する、
時がどんなに流れても

この歌の名盤はリー・ワイリーに尽きます

すでにご紹介してドゥーリー・ウィルソンの歌は、ピアノがフェイクだからなどということはどうでもよくて、いちばんの聴かせどころであるヴァースを歌っていないことで失格です。

この歌の、しかもかなり理屈っぽいヴァースをみごとに表現したヴォーカリストと言えば、これはもうリー・ワイリー以外に思い当たる人がいません。

これがCDになって再発行されたときのジャケットです。



リー・ワイリーのことは、この先何度も取り上げるチャンスがあると思います。

かんたんに言えば、ファドの女王がアマリア・ロドリゲスであり、戦後日本の歌謡曲の女王が美空ひばりであったと同じくらいに圧倒的な存在感で、1930年代アメリカン・ポピュラーソングの女王と呼べる人でした。

この人の、他の人がやれば崩れた感じになるのに端正な風格を感じさせる歌いっぷりは、ヴァース2連の最初の2行に、くっきりと表れています。

2行目最後の単語theoryをスィアリーと発音しているのです。

英語のネイティヴ・スピーカーの中には、この単語をはっきりしたoの音でセオリーと発音する人も、oとaの中間のあいまいなァでセァリーと発音する人もいます。

でも、スィアリーと発音する人はいません。

それなのに、リー・ワイリーがここでスィアリーと発音しているのは、前の行最後の単語で、くたびれ切ったという意味のウィアリーと韻を踏まなければいけない場所だからです。

つまりそこが、ハーマン・ハプフィールドの作詞家としての詰めの甘いところでもあり、リー・ワイリーの古風な律儀さが感じられるところでもあるのです。

 読んで頂きありがとうございました🐱 ご意見、ご感想お待ちしてます。

コメント

藤沼 さんのコメント…
次は[思いでのサンフランシスコ]をお願いします。
匿名 さんのコメント…
「時の流れにさからってでも、守らなければならないものがある」という主張が伝わってくる~~~'[カサブランカ]の映画の意味に懐かしさと厳しい感性に幾重ものサポートあり🐜
増田悦佐 さんの投稿…
藤沼さま
さっそくリクエストにお応えして、想い出のサンフランシスコを取り上げました。
お楽しみいただければ、嬉しいです。
増田悦佐 さんの投稿…
匿名さま
時に押し流されてはいけないものとは何か、ようやく少しわかりかけてきた気がします。