歌はヴァースから その2 I Left My Heart in San Francisco
今日は、おとといの投稿に関連してさっそくリクエストをいただいたので、シリーズ第2回として『I Left My Heart in San Francisco(想い出のサンフランシスコ)』を取り上げたいと思います。
これこそ正真正銘、一発屋のヒット作
前回の『As Time Goes By』の作詞・作曲者、ハーマン・ハプフィールドは、一発屋とはいっても、ブロードウェイのレビューで全歌曲を任されたことが3回ある、れっきとしたプロでした。
ハプフィールドの曲で大ヒットしたのは『As Time Goes By』だけですが、今でもときおり歌われることがある『Let’s Put Out the Light(さあ、灯りを消しましょう)』という佳作も残っています。
ところが、この曲を創った作詞のダグラス・クロスと作曲のジョージ・コウリーは、後にも先にも、これ1曲しか残さずにさびしい人生を送ったようです。
ふたりで200曲以上書いたものの、譜面になったのは20~30曲、ヒットした曲はこれしかなかったのです。
ともにサンフランシスコで生まれ育ち、第二次世界大戦では兵士として戦い、戦後はニューヨーク……といっても歌詞に出てくる華やかなマンハッタンではなく、ブルックリンでなんとか生活費を稼ぎながら、ヒット曲が出るのを待つ生活をしていました。
作曲者のコウリーはピアノが弾けるので、あっちこっちで歌手の伴奏をして食べるには困らない程度の稼ぎがあったでしょう。
でも、売れない作詞家だったクロスのほうは大変だったと思います。
一方、この歌を世界的にヒットさせた歌手、トニー・ベネットのほうも、業界では幅広いレパートリーをこなすプロで通っていたものの、ヒットチャートの上位にランクされるのは他人の歌のカバーばかりでした。
「この歌はやっぱりこの人でなけりゃ」という十八番(おハコ)が無くて悩んでいたころに、この歌と出逢ったのです。
トニー・ベネットは、自分でも「この曲がヒットしたおかげで、やっと世界中どこに行っても自分の名前で客を呼べる歌手になった」と言っているほど、待望久しかった「自前のヒット曲」でした。
コウリー=クロスもまた、「アマチュア作詞・作曲コンビ」と呼ばれるのはしゃくだったかもしれませんが、この曲がヒットしてからは、この1作の印税で食べていけるほど安定した収入があったらしいです。
つまり、この曲は3人の人生を一変させた曲なのです。
それでは、例によってヴァースから読みこんで行きましょう。
最初の行で最後の単語がさっそく問題です
The loveliness of Paris seems somehow sadly gray
The glory that was Rome is of another day
The glory that was Rome is of another day
パリの美しさはなぜか寂しげに色褪せ、
栄光のローマも今では昔話
(じつは1行目最初の単語がgrayではなくgayなら「寂しげな賑わいだ」となります。
どちらでしょうか。おハコにしているトニー・ベネットは、はっきりgayと発音しています。
一方、女性ヴォーカルのカバーでは私がいちばん好きなジュリー・ロンドンは、grayと聞き取れます。
「それなら、ベネット版が正しいに決まってるじゃないか」と思われる方が多いでしょう。
でも、スターが歌詞を間違えて歌ったのが定着してしまうのはよくあることです。
この歌い出しでは、華やかさ―寂しさ―華やかさと2回屈折を入れるよりは、華やかさ—寂しさと1回だけの屈折にしておいたほうが、2行目とのつながり方も自然ではないでしょうか。
I've been terribly alone and forgotten in Manhattan
I'm going home to my city by the Bay
マンハッタンではだれからも忘れられて、ひどく孤独だった、
だから帰るんだ、あの入り江に接した私の街へ
そして、コーラス冒頭が最大の聴かせどころです
I left my heart in San Francisco
High on a hill, it calls to me
サンフランシスコに、私の心を置き忘れてきちゃった、
その心は、高い丘の上から私に呼び掛けている
(コウリー=クロスも、このコーラスの歌い出しにはそうとう悩んで、あれこれ違う歌詞を試してみたようです。
でも、「心を置き忘れてきちゃった」というのは、天啓とさえ言えるほどいい表現じゃないかと思います。
もし、この表現がなかったら、この歌も『Stars Fell on Alabama(アラバマに星墜ちて)』とか、『Moonlight in Vermont(バーモントの月)』と同じようなPicture Postcard Song、日本流に言えばご当地ソングで終わっていたでしょう。
でも、「心を置き忘れちゃった」という表現があるからこそ、たんなるお国自慢以上に切実な望郷の念がにじみ出ているのではないでしょうか。
また、it calls to meのitは当然、サンフランシスコの街のことではなく、置いてけぼりにされたままの私の心です。)
To be where little cable cars climb halfway to the stars
The morning fog may chill the air, I don't care
The morning fog may chill the air, I don't care
小さなケーブルカーが星空への中間点あたりまで坂道をよじ登る、
朝もやは冷え冷えとしても、そんなこと気にならないこの街に帰れと
My love waits there in San Francisco
Above the blue and windy sea
My love waits there in San Francisco
Above the blue and windy sea
私の恋(人)はサンフランシスコで待っている、
青く、風の吹き荒れる海の上で
(女性は恋のことはlove、恋人のことはloverと区別する傾向が強いですが、男性は恋も恋人も同じようにloveと言いがちです。
女性のほうが理性的で、男性のほうが感情的ということでしょうか。でも、その恋人ってだれでしょう?)
When I come home to you, San Francisco
Your golden sun will shine for me
サンフランシスコよ、私があなたのところに帰るときには、
黄金の太陽を輝かせておくれ
(その恋人は、サンフランシスコという大都会そのものか、サンフランシスコに置き去りにした私の心のどちらかであって、特定の人がいるわけではなさそうです。)
イチ押し盤はジュリー・ロンドンです
ハスキーボイスのクールビューティだなんてことはどうでもよくて(いや、じつはどうでもよくありませんが)、この歌の舞台設定にふさわしいヴァースの歌い出しをしているという点で、ジュリー・ロンドンのカバー盤のほうがトニー・ベネットよりお勧めです。
そう言えば、ジュリー・ロンドンも結局自分の持ち歌としてヒットしたのは『Cry Me a River(河となって流れるほど、私のために泣いて)』だけで、あとは他のアーティストのカバーばかりだった、ちょっと寂しい歌手人生を送った人でしたね。
読んで頂きありがとうございました🐱
ご意見、ご感想お待ちしてます。
コメント
やっと歌詞の意味がよく分かりました。
本当にありがとうございました。
栄光のローマも今では昔話
----ジュリー·ロンドンのサンフランシスコの歌声が
懐かしい。
しかし、アメリカや中国は、もう[色褪せ]さを感じる。
コメントありがとうございます。Twitterにて、サンフランシスコの近況の写真付きでお返事させていただきました。