歌はヴァースから その3 Everything Happens to Me

こんばんは
今日は『歌はヴァースから』シリーズの第3回として、Everything Happens to Meを取り上げたいと思います。

最近では、デューク・ジョーダンのCD『Flight to Denmark』に収録されたインストルメンタルとして聴かれている方が多いようですが、我々1950年代末から60年代半ばが生意気盛りだった人間にとっては、Everything Happens to Meといえば、もうチェット・ベイカーのおハコという印象が強烈な曲です。

本職はトランペットのチェット・ベイカーが、初めてステージでヴォーカルも披露したのが、1955~56年にパリで収録されたChet Baker: In Paris the Complete 1955-1956 Barkley Recordingsの中で歌っているこの曲でした。

つまり、Everything Happens to Meは「歌えるトランペット吹き」としてのチェット・ベイカーの出世作だったわけです。

その後、チェットはヘロイン依存症となり、麻薬取り締まりのきつかったアメリカに安住の地はなく、何度かヨーロッパ諸国に住んでみたのですが、イタリアやオランダからも国外退去処分になってはアメリカに舞い戻るという暮らしを続けていました。

次にお見せする写真は、左側が若き日のチェット、右側が遺作となったドキュメンタリー映画『Let’s Get Lost(バックレようぜ)』でフィーチャーされた楽曲を没後に収録したCDアルバムの表ジャケットです。


左の「クールジャズ界のジェームズ・ディーン」と呼ばれていたころと、まだ50歳になってもいないのにやつれ衰えた右の写真の落差は、やはり見ていてつらいです。

考えてみれば、彼が麻薬に浸るようになったのも、美貌ばかりが取りざたされたり、簡素で音を極端に節約するトランペットで「マイルス・デイヴィスの白人版」といった売り込み方をされたことに、自己表現で飯を食おうとするものとして耐えられなかったのも一因だと思います。

それではヴァースから原詩をご紹介して、拙訳をつけていきましょう。

Everything Happens to Me

Black cats creep across my path
Until I'm almost mad
街を歩けば、次々に黒猫が前をよぎる
気が狂いそうだ(黒猫に前を横切られると縁起が悪いので、行くはずだった道と方向を変える人さえいるほど、欧米では不吉とされています)
I must have 'roused the devil's wrath
Cause all my luck is bad
悪魔の逆鱗に触れたとしか思えない
だから僕はいつも運が悪い
(ここからコーラスに入ります)
I make a date for golf and you can bet your life it rains
I try to give a party and the guy upstairs complains
賭けてもいいけど、ゴルフの約束をした日は必ず雨だ
パーティをやろうとすると上の階から苦情が出る
I guess I'll go through life 
Just catchin' colds and missin' trains
一生こうやって生きていくんだろうな
風邪にはかかり続け、電車には乗り遅れつづける
Everything happens to me
悪いことならなんでもござれさ
I never miss a thing
I've had the measles and the mumps
はずれてセーフってことが、一度もない
はしかもやったし、おたふく風邪にもかかった
And every time I play an ace
My partner always trumps
ブリッジでエースを出せば、
必ずパートナーが切り札を使う(4人が2組で争うゲームで、自分がエースを出したらもう味方が勝っているのに、相棒がうっかり切り札をムダ遣いしちゃうってことです)
Guess I'm just a fool who never looks before he jumps
飛び出す前にまわりを見ることさえしないバカで、一生終わるんだろう

Everything happens to me
悪いことならなんでもござれだ
At first my heart thought you could break this jinx for me
That love would turn the trick to end despair
初めは、僕の心も君がこの不運を断ち切ってくれるんじゃないか、
愛が絶望を終わらせるという芸当をやってのけると思った
But now I just can't fool this head that thinks for me
I've mortgaged all my castles in the air
でも、今じゃもう理屈っぽくしゃしゃり出てくる僕の頭をだませない(もういつまでも自己欺瞞は続かないってことですが、メロディの音節に合わせて持って回った言い方になる。それならいっそ、恋なんて心で想うものなのに頭で考えてばかりいるからうまくいかないんだという、それ自体考え過ぎの愚痴にしてしまったわけです)
想像の中でこさえたお城まで質に入れてしまったってことを
I've telegraphed and phoned
I send an "Airmail Special" too
電報も打ったし、電話もかけた
速達のエアメールも送った
Your answer was "Goodbye"
And there was even postage due
君からの返事は「さよなら」のひとこと
おまけに切手代不足だった
I fell in love just once
And then it had to be with you
一生に一度の恋の相手が
よりによって君だったなんて(突然いなくなったんで、まず無理だろうと思ったけど、一緒に暮らす前に君が住んでた家に手紙や電報を出してみたら、しゃあしゃあと同じ家に住んでいて、しかも「さよなら」ひとことの手紙に貼る切手代がいくらかさえ気にしないような、自由奔放に生きる人なんです)

Everything happens to me
悪いことならなんでもござれだ

暗い人生を自虐ネタとして笑い飛ばす高度なワザ

この歌をヴァースなしで聴くと、典型的な恨み節、嘆き節です。ただ、なんとなく「メロディはそんなに暗くないよな」と感じませんか。
ヴァースから聴きはじめると、印象がまったく違ってきます。ヴァースが明るいわけではありません。
むしろことば遣いも時代がかっているし、ヒュードロドロとお化けでも出てきそうに暗いメロディです。
ところが、この真剣(マジ)に暗いヴァースと比べながら聴くと、コーラスでは呪いでもかけられたような不運には見舞われていないってことに思い当たります。
日常生活の端々で、どこかうまくいかないことがよくあるってだけなんです。
死ぬの、生きるのといった愁嘆場を演じそうな一幕はありません
気まぐれな君に、突然理由もわからずに捨てられたってことをのぞけば
じゃあ、僕は今度こそ本気で泣いたり、叫んだりするでしょうか?
そんなことができる人間なら、もう少し恋多き人生を送っていたでしょう。
ことここに至っても、僕は「さよならひとことの手紙の、切手代の不足分まで払わせるのかよ」と愚痴を言うだけです。
そういう細部にこだわることで、悲嘆にくれるより「まあ、君とめぐり逢えて、短いあいだでも一緒に暮らせただけ、一生恋もせずに終わっていたより幸せだったかもしれないな」と笑い飛ばせる心境に切り替える、余韻を残した歌になっています。

お勧めは御大、フランク・シナトラ盤です

残念ながら、チェット・ベイカーはヴァースから歌っていません。

ヴァースから歌っている人たちの中では、やはりフランク・シナトラにとどめを刺します

このカバーを目当てに探せば、ユーチューブでかんたんに聴くことができます。



ネルソン・リドル指揮するハリウッド弦楽カルテットの伴奏で、ヴァースのひたすら重苦しい雰囲気と、コーラスの軽いボヤキぶりを的確に歌い分けています。

フランク・シナトラは「他の歌手から学んだり盗んだりしたことはないが、バンド付き歌手をしていたころのバンドマスター、トミー・ドーシーからは、息の継ぎ方を習った」と言っています。

トミー・ドーシーは自分のバンドを率いていましたが、ジャック・ティーガーデンと並ぶトロンボーンの名手でもあったのです。

たしかに変なところで息を継ぐとぶち壊しになるこういうスローなバラードでは、その造作なくやっているように見える息継ぎのなめらかさが光っています。

ちなみにトミー・ドーシーは、シナトラの次の男性ソロヴォーカルとして雇ったディック・ヘイムズにもこの歌を吹き込ませています。

ヴァースも前奏として使っていますが、「お前にゃ、まだ10年早いよ」とでも言っているようにヴァース部分は歌わせず、自分がトロンボーンのオブリガードとして吹き、ディック・ヘイムズにはコーラスだけ歌わせています。

これはシナトラ盤ほどかんたんに探し出せないかもしれませんが、やはり聴きものです。

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