中小企業を潰せば、生産性は上がるのか? ご質問にお答えします その15

こんばんは 
今日は低迷続きと言われている日本の生産性を中心として一連の興味深いご質問をいただきましたので、お答えしたいと思います。

ご質問1:日本の生産性問題についてひとつ質問させていただきたいのですが、日本がデフレで賃金が上がらないことについて、欧米との比較で、単純な停滞というべきなのでしょうか?

お答え1:生産性について議論するときには、まず確認しなければならないことがあります。それは、どの生産性を問題にしているのかということです。

労働生産性は、労働効率よりどれくらい

有利な環境で働いているのかを測る指標

さまざまな国際経済統計の比較でいちばん頻繁に使われるのが、労働生産性です。

具体的には、国内総生産(GDP)を総労働時間で割って、勤労者ひとりが1時間でどの程度の生産高をあげたかを示すものです。

先進諸国では就労時間の統計はしっかりしていますので、とても国際比較や経年変化がわかりやすいということで重宝されています。

中国やインドなどの新興国では、まだ就労時間統計がきちんと整備されていないので、どのくらいの労働時間を投入したかを抜きにして、就業者数でGDPを割って労働生産性と見なすこともあります。

でも、一見わかりやすく思える経済指標ほど背景にいったい何が隠されているのかを見定めることが必要です。

人間がモノやサービスをつくり出すとき、必要なのは労働力だけでしょうか? もちろんそうではありません。

道具や、機械や、働くための場所も必要です。さらに現代社会ではほとんどの人が自宅以外の職場で働いていますから、住宅も要りますし、住宅から職場までの交通機関も必要です。

もう少し、視野を広く取ってみましょう。

科学的な知識、生産技術などの抽象的にしかとらえらることのできない、人類がこれまでの歴史の中で育ててきた知見も全部、あらゆる生産活動に貢献しています。いったいどのぐらいの量が投入されているのかを測定するのは、至難のわざですね。

ですが、人類全体の共通財産と呼ぶべき科学知識や生産技術をすんなりモノやサービスの生産に落としこむことができる国もあり、なかなかそれがうまくいかない国もありというのが現状です。

先進国、発展途上国、低開発国の差は、歴史的な経緯によってこうした共通知見が活用できる度合いの差だと言い換えることもできるでしょう。

もうひとつ、非常に重要な生産要素があります。それは、特定の国にどのくらい天然資源が埋蔵されているかということです。

もちろん多くの方がご存じでしょうが、日本は世界有数の資源小国です。

金、銀、銅などの金属資源は、もとはかなりの量が埋蔵されていたのですが、平和で安定した時代が続く中で有効活用できる鉱脈はほとんど掘り尽くされ、江戸時代後半には金属資源もほぼ枯渇していました。

産業革命初期の石炭がエネルギーの王者だったころ、石炭はそれなりの生産量を確保していました。

ですが、イギリス、ドイツ、アメリカなどと比べれば量も少なく、品質面でもあまり高級ではなく、鋼鉄の生産には不可欠の原料炭(コークス炭)は初めからほぼ全量輸入に頼っていました。

エネルギーの王位が石油に移ってからは、まったくと言っていいほど原油を自給できず、この弱みが米英を中心とする連合国相手に第二次世界大戦に参戦する大きな理由となったほどです。

資源大国の中には、掘り出した金属の鉱石やエネルギー資源を積み出して市場や輸出先に送りこめば、それだけでかなりの金額の収益が得られる立場にある企業に勤めている人たちが大勢います。

こうした仕事は産業分類の上では鉱業といって、製造業、建設業とともに第二次産業(モノづくり産業)と呼ばれています。

日本の鉱業は、他国から買い入れた原材料になんとか工夫をして付加価値を生み出す、比較的低収益の分野です。

ところが、アメリカ、オーストラリア、カナダなどの資源も豊富で資本の蓄積も大きな国々では、鉱業は非常に労働生産性の高い分野です。

また、アメリカ・カナダもふくめて、中東、中央アジア、中南米、ロシアなどの産油国、それに加えて天然ガスの埋蔵量の多い国でも、鉱業は高生産性分野です。

そればかりではありません。天然資源の多い国では、その天然資源を活用するためのざまざまな経済活動にまで、労働生産性の「おすそ分け」が広がっているのです。

運輸は、第三次(サービス提供)産業の1分野です。そして、生産地から市場や積出港まで生産物を運ぶ貨物鉄道は、ほとんどの国で低採算事業です。

ところが、1990年代以降中国が世界中から金属資源・エネルギー資源を爆買いして高成長を維持する経済政策をとるようになってからのオーストラリアの貨物鉄道は、大変な高収益分野になっています。

1日に4~5往復、生産現場から積出港まで、ほとんどカーブも、踏切も、途中下車駅もない単調な線路を走るだけの貨物列車運転士が、日本円にすれば1500~2000万円という大企業の管理職に相当する年収を得ていることも珍しくないそうです。

世界市場を、競争のための土俵だと考えたとしましょう。

国土にどれほどの天然資源が埋蔵されているかを見ただけでもお分かりいただけるように、この土俵はかなり不公平なものだし、その不公平な土俵の上で労働生産性を基準にして経済の発展度を測れば、間違った結論に達しがちだとわかります。

少なくとも以下の3点を勘定に入れた比較でなければ公平な比較とは言えないでしょう。
  • 工場(機械装置)、店舗、オフィスビルなどを働きやすい環境とするためにどれだけの資本が投下されているか。
  • 最新の科学技術を活用して生産活動をするための教育制度、政治社会的な仕組みがどれほど整っているか。
  • どれくらいの種類の天然資源が自国内で供給できるか。
こうした点を考慮に入れながら、国土全体が焼け野原と化した第二次世界大戦直後の惨状から、日本経済の労働生産性はどんなふうに歩んできたとお考えでしょうか。

  1. 高度成長期にはアメリカより労働生産性が高かったが、1990年代以降アメリカより低くなってしまった。
  2. 高度成長期にもアメリカほど労働生産性は高くなかったが、その差は1990年代以降どんどん拡大している。
  3. 1990年代半ばまでは世界最速のスピードでアメリカとの差を縮めてきたが、その後はやや差が開き気味だ。
正解は、次のグラフでご覧いただけます。



ご覧のとおり、日本の労働生産性は1950年にはアメリカの約16%という低水準でした。

それが、1972年には約43%へ、そして1995年には約67%へと、大きく差を詰めていったのです。

残念なことに、2004年でも、2013年でもこの差はじわじわ拡大しています。ただ、非常に小幅の拡大であって、たとえば1970年代の差まで逆戻りしてしまったわけではありません。

日本には天然資源の埋蔵量でアメリカと大きな差があることを踏まえれば、「失われた20年」といった表現が当てはまるほど1990~2000年代の日本経済が大停滞を続けていたと見るのは、悲観的すぎるでしょう。

このグラフには、もうひとつ注目すべき点があります。それは、資源頼みの国は当初は労働生産性が高くても、だんだんトップクラスの国との格差が開いていく傾向があることです。

カナダやニュージーランドは、当初はアメリカとの格差が小さかったのに、ほぼ一貫してその差が広がっています。

豪州(オーストラリア)の場合、1995年までは差を詰めていましたが、それ以後は中国による天然資源の爆買いという好材料にもかかわらず、アメリカとの差が拡大に転じています。

天然資源の採掘は、掘りやすくて埋蔵量も多いところから始めて、徐々に条件の悪いところに事業を拡大していくことが多いのです。また、埋蔵量自体も減少していきます。

さらに、当初は鉱脈が発見されていなかった国や、鉱脈の存在はわかっていても安全に操業できなかった場所で順調に生産活動ができるようになると、それだけ競争が激化して生産した天然資源の価格が低下するというマイナス要因もあります。

カナダもオーストラリアも国民の知的能力や大学教育の普及度などでは、他の先進諸国に引けを取りません。ですが、資源産業以外では世界的な一流企業が育ったことがない国々だという印象があります。

天然資源の豊かな国では、どうしても経済活動が天然資源の採掘関連に集中し、資源の枯渇とともにじりじり労働生産性も下がっていくのでしょう。

一方、初めから資源のない国では創意工夫でその不利を埋めなければならないので、出発点は低くても、枯渇することのない創意工夫で最終的には労働生産性も高めることができるのかもしれません

その意味では、結局世界はそれほど不公平な土俵ではないと見ることもできます。

労働生産性という概念には、国対国の比較や異なる産業間の比較では、どうしても公平な比較にならないという問題があると指摘させていただきました。

この問題点を克服できる生産性の概念があります。それが全要素生産性です。

生産性は全要素生産性で比較すべきだ

労働力の投入量を一定に保ち、投入する資本の量と質も一定に保ったとして、それでも最終的な生産高が上がったとしたら、その差こそ科学技術の進歩や、社会全体が経済活動に適した方向に進んでいる証拠と見るべきだという考え方があります。

この労働量と資本の質・量を一定にした場合の生産高の変化をとらえようとするのが「全要素生産性」です。

さて、全要素生産性から見ると、日本経済の長期的パフォーマンスはどうだったでしょうか?


一目瞭然で、19世紀末から20世紀末までの約100年間、日本は圧倒的に良いパフォーマンスをしていました

1960年代半ばのピークでは、全要素生産性が約5%の伸びを示しました。同じ量の労働と同じ質と量の資本を投下しても、生産高が5%伸びていたはずだということです。

おまけに投入する労働量も、投下する資金額も急成長していたわけですから、毎年のように2ケタの実質GDP成長を記録していたのも当然です。

1990年代以降は、残念ながらユーロ圏とともに全要素生産性成長率が1%を割りこみました。

ただ、直近ではユーロ圏とイギリスがほぼゼロ成長にまで低下しているのに対し、アメリカとともに約0.5%の成長率を維持しています。

たしかにパッとしない数字です。

でもこの低下は、日本に固有の問題があるというより、1980~90年代にかけて、経済全体を牽引する産業が製造業からサービス業に変わり、その結果巨額の設備投資や研究開発投資をしてもあまり生産高の伸びない分野が経済の中心になったことが原因だと思います。

とくに、個人向けサービスでは、売り手と買い手が同時に同じ場所にいないと取引=サービスの生産自体が成立しないことが多く、巨額投資で一挙に規模を拡大すると「規模の経済」で生産性が上がるどころか、生産性が下がってしまう「規模の不経済」が発生する危険が大きいのです。

ご質問2:収支がバランスしているならデフレでも構わないようにも思いますが、何かデフレでは深刻な問題が起きるのでしょうか?

お答え2:私も、じつはデフレで何ひとつ問題はないと考えていました。

というのも、デフレはモノやサービスの値段が下がる、つまり貨幣価値は上昇する現象だからです。

日本の個人世帯はとても堅実で「貯蓄から投資へ」といったスローガンに踊らされず、貯蓄中心の資産構成を守っています。

インフレというのは貨幣価値の下落ですから、大金を借りている人たちほど債務元本の目減りで得をします。逆に貯蓄を持っている人たちは貯めておいたおカネの価値が目減りするので損をします。

個人はめったに自分の持っている住宅以上の金額になる借金はできません。

でも、国、自治体、金融機関、大手企業は自己資本の数倍に上る借金ができます。

つまり、インフレは個人世帯から国や金融機関や大企業への所得移転であり、デフレは国や金融機関や大手企業から個人世帯への所得移転なのです

そして次の3枚のグラフを比較していただくと、日本国民はデフレの恩恵に浴しているように見えます。



アメリカは物価値上がり分を差し引いた実質ベース(同じ品質のモノとサービスをどれくらい多く買えるようになったか)で見ても、約6兆ドルから12兆ドル超へと2倍以上になっています。

さすがに、この実質所得の伸び率には日本もドイツもとうてい付いて行けません。

ですが、日本とドイツでは実質所得はどちらが大きく伸びたか、おわかりでしょうか。

ドイツは約1兆6000億ユーロから約2兆2500億ユーロへと、約41%の伸びです。一方、日本は約480兆円から約620兆円へと、約29%の伸びにとどまりました。

やはり、ドイツのほうが伸び率は高いですが、30年近い期間の累計で41%対29%というのは、ほんとうにわずかな差です。

さらに、個人世帯の金融資産の目減りを考えると、私は日本の個人世帯のほうがドイツの個人世帯より豊かになっていると思います。

というのも、日本の個人世帯はGDPの4倍近い金融資産を持っていて、しかもその約6割は貯蓄です。この間の消費者物価はほぼ横ばいでしたから、ほとんど貯蓄元本は目減りしていません

一方、ドイツでは2008年以降はインフレ率がかなり低下しましたが、それまでは年率2~3%のインフレが続き、貯蓄元本は1991~2019年でかなり目減りしているはずです。

つまり、毎年の所得と持っている金融資産の実質価値との合計で考えると、日本はヨーロッパ諸国ではもっともうまくいっているはずのドイツより個人世帯にとって有利な立場にあると考えていたのです。

ただ、次のグラフをご覧いただくと名目賃金は男性ではかなりピークより低下し、女性では微増は続いていますがあまりにも男性に比べて水準が低いので、消費者物価が顕著に低下していなければ、とうていデフレの恩恵を感ずるわけがないと思います。


とくに男性の給与所得を見ると、勤めている企業の規模や属している年齢層に関係なく、全分野で名目所得が1991年より2018年のほうが下がっていることがわかります。



救いといえば、各年齢層とも中小企業は給与水準の下落を小さく食い止めているため、男性勤労者の給与所得格差が縮小していることでしょうか。

なお、「中小企業は労働生産性が低いから給与所得も低いのであって、給与所得が平準化してしまったら勤労者全体の勤労意欲が低下する。労働生産性の低い中小企業は切り捨てるべきだ」とのご反論もあるかもしれません。

サービス主導経済では中小零細
企業の安定成長が重要

ですが、冒頭で申し上げたように中小企業より中堅企業、中堅企業より大企業の労働生産性が高い大きな理由は、規模が大きな企業の従業員のほうが恵まれた就労環境で仕事をしていることです。

社会的にほとんど存在理由がないのに存続している企業はめったにありません。

「中小企業は生産性が低くて、低採算だから潰そう」という議論をする人たちは、たいていの場合、大手企業が巨額損失を出してもなんとか救済しようとする傾向があります。

「とにかく、規模が大きな企業の存続こそ重要で、中小零細企業は潰れてもかまわない」という議論は、規模の経済が顕著だった重厚長大型製造業全盛期の発想であって、もう現実に即した議論とは言えないと思います。

それはさておき、名目所得が軒並み低下している中で、勤労者は消費者物価が目に見えて下がっていなければデフレの恩恵を実感できないのは当然でしょう。

それでは消費者物価は、どう動いていたのでしょうか?

じつは過去30年ほどほぼ横ばいであって、ほとんど下がっていなかったのです。むしろ、直近の6~7年はやや上昇傾向です。


それではなぜ先ほど見ていただいた日本の名目・実質GDP推移では実質GDPが名目GDPの上に来ていて、デフレが進行していたことを示しているのでしょうか?

名目GDPを実質GDPに換算するときには、消費者物価ではなく、このグラフでは朱色の太線になっているGDPデフレーターで割っているからです。

消費者物価は消費者がモノやサービスを買うときの価格水準を示しますが、GDPデフレーターは、消費者物価だけではなく、生産者物価、卸売物価などあらゆる取引の価格水準を示す指標です。

つまり、消費者物価は横ばいでも、企業が製品やサービスを提供するための原材料や機械装置などを買うときの価格が大幅に下がっているので、GDPデフレーターは顕著に低下しているのです。

勤労者の名目所得は下がっているのに消費者物価が下がらないので、最終消費需要は冷えこんだままです。

また、直接消費者にモノやサービスを売らずに、大手企業に原材料や機械装置を納入している中小企業は、購買力の大きな大企業による「下請けいじめ」に直面しているというのが、現代日本経済停滞の真相というわけです。

中小企業の経営者の方々は「そもそもなかなか値上げができない、デフレ傾向が諸悪の元凶だ。値上げがしやすくなるようにインフレの世の中にしたい」と思われるかもしれません。

ですが、インフレの世の中になっていちばん得をするのは、いくらでも借金のできる国や金融機関や大企業であって、中小企業にとってはインフレは解決策にならないでしょう。

製造業の各分野で大手企業数社の市場シェアをめることで、価格支配力を強め、値上げもしやすくして企業収益を拡大するという方針は、もっと深刻な間違いだと思います。

実際には、過去数年にわたって、企業にとっての購入価格は下がっているのに製品価格は横ばいなので利益率は上がっています。

ただ、増加した利益はあまり大きな投資案件がないため、内部留保とか手元流動性とか呼ばれるかたちで積み上がっているだけで、生産活動の拡大にほとんど貢献していません。

それでは、この停滞状況を突破するカギをどこに見出すべきでしょうか?

私は、生産者物価の産業部門別内訳にあると思います。


まず目立つのが、アメリカでハイテク・バブルが崩壊するまでは急激に上昇していた金融業の生産者物価が、その後大暴落していることです。

日本経済はサービス主導型への
転換で欧米諸国に先行している

金融業の最大の使命は製造業などの巨額投資を必要とする企業の資金調達を助けることですから、慢性的に投資が低迷する時代に入って金融業の生産者物価が暴落するのは、非常に自然なことです。

むしろ、どんどん利益率が上昇しているアメリカの金融業だけが特異な動きをしていると見るべきです。

さらに製造業と情報通信業が下落幅トップ争いをしているのも、当然の成り行きです。

技術革新のスピードが速い業界ほど、今までと同じ品質のモノを安く大量に造れるようになるわけですから、当然価格も低下します。

つまり技術進歩が早い業界ほど、デフレ型になるはずなのです。

ここでもまた、さまざまな業種の狭いニッチでガリバー型寡占(首位企業のシェアが圧倒的に高い寡占構造)になって価格支配力が強いので、なかなか技術進歩の恩恵が消費者に届かないアメリカのほうが特異な産業構造だと思います。

金融業と密接な関連のある専門サービス業(弁護士、税理士、公認会計士、不動産鑑定士などのいわゆる「さむらい」商売)が、生産者物価値下がり率第3位になっています。

これも、知的エリートの価値があまり高く評価されず、庶民とのあいだに大きな所得・資産格差が生じないという意味では、健全な方向なのではないでしょうか。

いちばん生産者物価が高止まりしているのが建設業なのは、公共事業予算が慢性的に肥大化しているからかもしれません。

長い雌伏期間のあった農林漁業の生産者物価が、国際金融危機を境に上昇に転じたのは、象徴的です。

もちろん、かなり大幅な規模縮小があってのことで、これから大幅に伸びる分野とは思えません。

ですが、ふつうのスーパーでも生産者の名前を明記した野菜や果物が売れているのは、成熟産業でも独自性を示すことによって活路は開ける証拠だと思います。

金融業や専門サービス業に比べて地味な一般サービス業・その他サービス業が長い低迷期を経て、やっと1994年の物価水準を超えました

中小零細企業が多く、労働生産性や採算性からは「お荷物」と見られがちな分野ですが、雇用の確保という点では大きな貢献をしています。

サービス業主導の経済では、こういう分野が安定した採算で雇用を伸ばしていくことが重要なのではないでしょうか。

ご質問3:海外旅行などをしたときの実感では現在の円が安過ぎで、本来、1ドル=50円くらいが適正ということはありませんでしょうか?

お答え3:今回はちょっと長くなりすぎましたので、このご質問には後日お答えしたいと思います。

読んで頂きありがとうございました🐱 ご意見、ご感想お待ちしてます。




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