クルマが殺したアメリカの町 その2 ミシガン州サギノー
こんばんは
フレッド・アステアの「イライザ」は
今日は久しぶりに、自動車の普及がいかにアメリカの町を破壊するかについて書こうと思います。
1948年に公開されたハリウッドミュージカル『イースター・パレード』は、アーヴィング・バーリンの名曲をふんだんに盛りこんだ楽しい作品でした。
ミュージカルであらすじがどうのこうのと言うのも野暮ですが、一応お話ししますと舞台は20世紀初めのアメリカ。
人気ダンス・デュオの地方巡業中にフレッド・アステア扮する男性ダンサーが、私生活でも恋人だと思っていたパートナーから「もっといいオファーがあったので、そっちの契約にサインしたの。さようなら」という手紙を受け取ります。
フレッド・アステアの「イライザ」は
ミシガン州サギノー出身だった
酒場でぐでんぐでんになるまで呑んだアステアは、酔った勢いで「よし、ここで下手な踊りを踊っている女の子たちのなかで、いちばんどんくさいのをエレガントなダンサーにしてやるぞ」と言って、新しいパートナーに選んだのが、ジュディ・ガーランドでした。
いわば、フレッド・アステア版『マイ・フェア・レディ』ですね。
もちろん、ジュディ・ガーランドのことですから、エレガントというわけにはいきません。映画の中でもいちばん精彩を放っていたのは、ルンペンに扮してアステアと歌い、踊る「We Are Couple of Swells(おれっちゃ、大金持ち)」というコミック・ナンバーでした。
筋書はどうでもいいようなミュージカル映画の脚本も、ほんとうに細部をよく考えて書いているなと感心させられるのが、フレッドに「生まれは?」と聞かれたジュディが「ミシガン州サギノー」と答える場面です。
サギノーは、17世紀初めにはもう、フランス人のミッションが土着のアメリカン・インディアンたちに布教活動をしていたほど古い町です。
その後、18世紀中ごろからは、ヒューロン湖のほとりから約20キロばかり川をさかのぼった立地を生かして、後背地の森林から丸太や製材を積み出して、5大湖経由でニューヨーク、フィラデルフィア、ボルチモア、シカゴなどの大都市に送り出す拠点として、けっこう繁栄していました。
ただ、19世紀末から20世紀初めには周辺の木もほとんど伐採し尽くして、「昔繁盛していたこともある田舎町」になりかけていたのです。
そして、20世紀初めからの自動車工業の普及と、二度の世界大戦による軍需ブームにも助けられて、1940~60年代には活気を取り戻します。
つまり、1948年に制作されたこの映画では、ジュディの故郷をサギノーに設定することで、フレッドのキャリアが一度落ち目になってもまた人気を取り戻すから頑張ろうねという個人史に巧みに重ね合わせているのです。
そして、製材業の拠点としてはやや寂れかけていたころのサギノーのメインストリートが、次の写真です。
これは日本以外世界中どこでも同じことですが、19世紀末に普及し始めた自転車は、ほぼ完全に金持ちのお坊ちゃん、お嬢ちゃんの遊び道具でした。
日本だけは、小売商店や飲食店が一般庶民の家庭に御用聞きに行って商品を配達したり、注文を受けた料理を出前したりするという習慣が江戸時代から定着していたので、自転車は中小零細商店の営業エリア拡大のために大いに活用されたのです。
そういう背景を知ってこの写真を見ると、主要産業が寂れはじめたと言っても、まだしっかりした建物は健在だし、金持ちの子女は気楽に自転車を乗り回しているし、なかなか活気のある町だったことがわかります。
GMのサギノー工場も拡張され、軍需産業も好況を謳歌していたサギノー市の人口は、1960年には約10万人に達していたそうです。
自動車は都市を破壊する
今度は、自動車産業の発展で郊外化が進んでしまった、サギノー市の現況をご覧ください。
さっきとまったく同じ交差点を、ちょっと違う角度から写した写真です。もののみごとに重厚な建物が消え失せていて、同じ場所とは思えないほど殺風景です。
ボルチモアやデトロイトのような大都市では、土地代は安いのに建物の解体費は高いから、大通りにいつまでも廃墟となった建物が立ち腐れで放置されています。そんな光景を見るのも淋しいものです。
でも、直近の人口が約1万7000人というサギノーのような小さな町になると、ほとんど町全体が消失してしまうのです。
そして、メインストリートを捨てた住民たちは、自動車がなければ買いものひとつできないだだっ広い郊外に拡散していきます。
気になるのは、この投稿写真にも多くのコメントが付いているのですが、ほとんど町の歴史をご存じない人たちが書いていることです。
自動車は町を破壊するだけではなく、町の記憶までかき消してしまうようです。
読んで頂きありがとうございました🐱
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