地球温暖化は、ほんとうに大気中の二酸化炭素増加が原因か? 気候変動の虚実を探る その1
こんばんは
真鍋淑郎氏のノーベル賞
二酸化炭素排出量がいちばん激増した
なぜ1950~60年代の二酸化炭素
現在から6億年前からの大気中の二酸化炭素含有量と大気温の推移を見ますと、現在はむしろ例外的に寒い時期であり、空気中の二酸化炭素の量も現在の400ppm弱よりはるかに多かった時代のほうがずっと長かったことがわかります。
現在進行中の気温
今日もまた、こんばんはではなくおはようございますになってしまいました。申し訳ありません。
今日は先週の金曜日に閉会した第26回気候変動枠組条約締約国会議(COP-26)の主題である地球温暖化について、書こうと思います。
真鍋淑郎氏のノーベル賞
受賞はおめでたいが
たまたまなのか、COP-26開催直前に今年のノーベル物理学賞受賞者が、日本の真鍋淑郎氏をはじめとする、地球温暖化に関する実証研究をおこなった3氏に決まりました。
今から約50年も前に、真鍋氏は当時としては珍しいほど積極的に大容量のコンピューターを駆使して、「人為的な二酸化炭素排出量の増加が温暖化を招き、激しい気候変動などの自然災害を多発させる」と主張していました。
実際には、1950~60年代はどちらかと言えば地球寒冷化が深刻に懸念されていた時代でしたから、その直後からの真鍋氏の持論は非常に先見の明があったと言えるでしょう。
さらに、大気中の風の動きによる気温変化のモデルと、深海にも起きている海流がもたらす水温変化のモデルを開発し、その2つのモデルの組み合わせると「地球温暖化は北半球、しかも極寒の北極圏でもっとも顕著な現象となる」と予測していました。
もともと、「二酸化炭素が大気温を高める」との主張はあったのですが、長期にわたる実証的なデータを見ると気温の上昇は南半球より北半球のほうが顕著だったので、これは無理な議論だろうと考える気象学者のほうが多数派でした。
地球全体の約7割が海水に覆われているのですが、海水面は圧倒的に南半球に多く、北半球はどちらかと言えば海の少ないほうだからです。
海水面のほうが陸地よりはるかに蓄熱能力が高いことに疑問の余地はありません。もし、二酸化炭素が増えたことによって大気温全体が上昇するとすれば、海水面の多い南半球のほうがより早く、より高い温度になるはずだと思われていたのです。
その後50年間の現実は、真鍋氏のモデルの正しさを実証しているように見えます。だからこそ、ノーベル物理学賞も受賞されたのでしょう。
この2つのモデルの評価は、とうてい私の能力を超えています。
ただ、私にはどうしても「二酸化炭素の増加こそ地球温暖化の元凶だ」という議論に承服できないところがあるのです。
それはごく単純な事実の問題として大気中の二酸化炭素量がもっとも急激に増加したのは1950~60年代なのに、この時期にはむしろ大気温が下がっていたことについて納得のいく説明を聞いたことがないからです。
二酸化炭素排出量がいちばん激増した
時期に、地球の平均気温は下がっていた
まず、地球上の大気温の変化についてのグラフからご覧ください。
1940年代前半に第二次世界大戦の砲火、空襲などもおそらく影響してかなり上昇していた平均気温は終戦とともに急低下して、その後1950~60年代の大半で長期のトレンド線より下の位置にありました。
ところが、二酸化炭素排出量のほうは、まさに1950~60年代にもっとも大幅に増加していたのです。
ご覧のとおり、1950年には二酸化炭素排出量は約15億トンでした。それが、1970年には46億トンぐらいになっています。20年間で3倍以上の伸びです。
これ以外の20年間で、これほど二酸化炭素排出量が伸びた時期はありませんでした。
じつは、大気中の二酸化炭素含有量が1950年を境に、まったく違うレベルになってしまったことは、編年法という学術分野の研究者のあいだではよく知られた事実です。
編年法とは歴史的な事実、あるいは先史時代の事実がいつ起きたのかを測定する分野ですが、もっとも多く使われるのは同位体C14という炭素が5700年ごとに半減する性質の放射性同位体だという事実を利用する手法です。
動物・植物を問わず生物は炭素を体内にふくんでいますが、その炭素はつねに大気中の炭素と交換しています。ところが、生命活動を終えてしまった生物の体内の炭素は固定されたままになります。
ですから、動植物の死骸にふくまれている炭素の量が現在の同種の動植物に比べてどのくらい減っているかを調べれば、いつごろ死亡したのかが高い精度で推測できるのです。
ところが、この炭素同位体C14による年代推計で言う現在とは、国際基準として1950年のことと決められています。1950年から何年さかのぼるかを測定することはできますが、それ以後を基準としての測定はできません。
なぜかというと、1950~60年代にかけてあまりにも多くの熱核実験が行われたため、1950年以前と以後とでは大気中の二酸化炭素含有量がまったく違い、したがって動植物の体内にふくまれている二酸化炭素量もかなり違っているからです。
核分裂は燃焼、すなわち酸化現象ではありません。ですが、核分裂は異常な高温を伴い、その結果ふつうなら燃えないものも燃やしてしまいます。そして、燃えたものの中にほんの少しでも炭素が混じっていれば、二酸化炭素が発生します。
なぜ1950~60年代の二酸化炭素
激増はタブー視されていたのか?
地球温暖化・気候変動を危機と唱える人たちの大半が、1970年前後を出発点にしたデータを持ち出します。そうすると、たしかに二酸化炭素排出量が増えるにしたがって大気温も上昇してきたように見えます。
ところが、それは1950~60年代に大気中の二酸化炭素量はもっとも大幅に増えたのに大気温は低下していたことを無視した議論なのです。
それにしても、なぜこれほど大きな変化がずっと見過ごされてきたのでしょうか。
当時核実験をしていた米ソ英仏の4ヵ国は、それぞれ軍事大国として国際世論に大きな影響力を持っていました。
そして、冷戦期にはむしろ第二次世界大戦中以上に「成長産業」となっていたこれら4ヵ国の軍需産業が、核実験は大気の成分構成を変えてしまうほど深刻なものだという事実を隠蔽しておきたかったのでしょう。
皮肉なことに、核実験がひんぱんにおこなわれた結果としての二酸化炭素排出量の激増は、気温の上昇を招きませんでした。
二酸化炭素が温暖化の元凶だと唱える人たちは、核実験による増加は気温を上げないが、化石燃料の使用による増加は気温を上げるという理屈を考える必要があるでしょう。
しかし、核実験でも実際に二酸化炭素が増えたのは高温でさまざまな炭素化合物がが燃焼したためですから、これは無理でしょう。
「当時は臨界点から遠かったが、今は
臨界点直前だ」と言えるでしょうか?
「たしかに1950~60年代がいちばん二酸化炭素排出量が激増した時期だったとしても、まだ絶対量が少なかった。ところが1980年代以降、我々は量の増加が質の変化に移行する瀬戸際に近づいている」とおっしゃるかもしれません。
ただ、この議論は明らかに通用しません。
過去の地球には、現在よりずっと気温も高く、二酸化炭素含有量も多い時期があったし、そのころすでに存在していた生物はそういう時代を生き抜いて子孫を残してきたからです。
「当時はまだ原始的なだけに大きな気候変動にも耐えるタフな動植物が多かったが、人類のように高度に発達した動物は繊細でちょっとした気候変動でも絶滅する」という議論も成り立ちません。
こちらは、期間を約10分の1に短縮して、6500万年前から現在までの平均気温の変化を見るグラフです。
6500万年前から3700万年前ぐらいまでの3000万年近くものあいだ、地球は氷の存在しない星でした。
その後、何回かの氷河形成期があって、今から約600万年前には人類が誕生します。北半球の氷河が形成されたのは、それからちょっと後です。
そして、現在より約2度高い気温の時期に誕生したばかりの人類は、その後延々と現在より約5度低い時期まで気温の低下に耐えました。
人類誕生後でもっとも気温が低下したのは、今から1万2900年前から1万1500年前にかけてのヤンガードリアス期で、このころイギリスの気温はまさに現在より約5度低い水準だったと推定されています。
もっと驚くのは、ヤンガードリアス期の直後に、人類はわずか数年のうちに平均気温が7度も上がるという気温の激変に見舞われた可能性が高いとされていることです。
人類が農業を始めたのは、寒くて採集・狩猟・漁労では十分な食料が得られなくなったヤンガードリアス期だったという説と、その直後の高温と豪雨が重なった時期に、水の恵みで植物の成長が加速するのを観察してのことだったという説があります。
まだ科学技術という武器を持ちあわせていなかった時期に、人類はこれだけの気候変動に耐えて生き延びてきたのです。
そして、激烈な気候変動のさなかに農業という、採集・狩猟・漁労に比べてはるかに安定した食糧確保の手段を獲得したのです。
現在のように発達した科学技術を持った人類が1.5度とか2度とかの気温上昇によって滅亡の危機に立たされるというのは、おかしくないでしょうか。
現在進行中の気温
上昇の原因は何か?
「風のもたらす気温変化と深海の海流のもたらす水温変化とを組み合わせると、意外にも陸地の多い北半球の寒い北極圏から温暖化が進む」という理論を構築された真鍋氏には敬意を表します。
ですが、同じ現象を説明するのに複雑な方法と単純な方法があれば、単純な方法を取るべきではないでしょうか。
私は、1970年代以降の気温上昇は、もっとかんたんに説明できると思います。次の表をご覧ください。
いちばん上が二酸化炭素で、これだけは分子量100万のうちにいくつあるかというppmで意味のある数値になっています。
残りの3つは上から、メタン、酸化二窒素(吸うと笑ったように顔が引きつるので笑気ガスとも言います)と、フロンガスです。
3つとも10億分のいくつというppb単位でしか意味のある数値にならないので、軽視されがちです。
メタンと笑気ガスについては、それでもいいかもしれません。
でも、フロンガスは100年間の累積効果が二酸化炭素の3800倍にも達します。つまり、フロンガス1ppbには二酸化炭素1ppmの3.8倍の温室効果があるのです。
しかも、二酸化炭素が産業革命前の280ppmから372ppmへと33%増えただけなのに対して、フロンガスは産業革命前には存在しなかったものが、今では255ppbもの量になっているのです。
冷凍・冷蔵技術は19世紀半ばから開発が進んで、同世紀末から20世紀初頭には十分実用化されていました。
世の中には温度を下げる技術は存在しません。人間にできることと言えば、冷媒によって固めた温気をほかの場所に移動させることだけです。家庭で冷房をすれば、室外機から暖かい空気が出ていきます。
もっと悪いことに、エネルギー浪費の標本のような自動車に、1970年代以降はアメリカだけではなくほとんど世界中の先進国で、夏は締め切って車内を涼しくする冷房が標準装備になってしまいました。
夏の先進諸国では各家庭から冷房によって室外に移転させられた温気が噴出しているだけではなく、大都市や幹線道路の交通量の多い道路ばたにカーエアコンから吐き出された温気がまき散らされています。
冷房が一般家庭や乗用車にまで普及しているのは、現在にいたってもほとんど先進諸国であり、先進諸国の大多数が北半球の北極に近い緯度の場所にあります。
北半球の北極圏そばで温暖化がとくに顕著な理由は、大気循環モデルと深海内部の海流循環モデルとの複雑な組み合わせを使わなくても十分説明できるのではないでしょうか。
読んで頂きありがとうございました🐱
ご意見、ご感想お待ちしてます。
コメント
今までの、日本人のノーベル賞受賞者に感じた鮮烈さが、乏しいのはなぜなのでしょうか。
外国人のノーベル賞受賞者には、真鍋氏の受賞と同様に別段の感慨は有りませんが。
栴檀の葉
コメントありがとうございます。
たしかに、非常にうさん臭い人で、受賞時のインタビューで「近年自然災害が増えている」とか、「サハラ以南のアフリカで農業を営めなくなった人たちが多いから、アフリカからヨーロッパへの難民が増えた」とか、まったく事実に反するジャーナリスティックな時事ネタを強引に自分の業績に引き寄せて語るのには唖然としました。
ただ、ノーベル物理学賞の権威が大幅に落ちたのは青色発光ダイオード(LED)で日本人3氏が受賞したころからだと思います。
たっぷり研究費を引っ張ってきて、その数百倍以上の利益を企業にもたらす研究者が立派な研究者だというアメリカ学界の拝金主義をそのまま反映した人選のように思えたからです。
「地球温暖化=気候変動」論者たちにも、もちろんエネルギー業界、マスメディア、SNSという強力なスポンサーが付いているのですが、なかなかそれが理解していただけないので、しつこく指摘していくつもりです。
今後も、このシリーズにはご注目いただければありがたく存じます。
色々と問題ある日本ですが、このようなニュースを見るたびにつくづく”日本に生まれて良かった”と思う次第です。日本人で良かった!
いつも的確なご指摘、ありがとうございます。
私もアメリカもふくめて、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポールの「コロナ専制」とも言うべき高圧的なやり口の背景には絶対に強烈な差別意識があるはずだと思っておりました。
ただ、私のツィートのほうにも似た角度からのご意見を頂いていることと総合して考えますと、その差別が必ずしも人種や民族系統にかかわる差別なのではなく、エリート頭脳労働者による現場作業労働者一般に対する差別だろうと考えるに至りました。
今日の、といってもまた日付が変わってしまい申し訳ありませんが、ブログはこの点について書かせていただきます。
お楽しみに。