自然災害頻発は地球温暖化のせいなのか?

こんにちは
今年は、あまりにも当たり前のことが見落とされている事実に対して、折に触れて警鐘を鳴らしていこうと思います。

そこで、今日はその第一弾として2022年に起きたさまざまな自然災害について「地球温暖化」の脅威ばかりを強調する風潮が蔓延し、本来責任を負うべき政府や行政機関、大手メディアなどが免罪されている点を指摘します。

パキスタン大氾濫も地球温暖化が起こした?

パキスタンの去年8月の降水量は、平年の3倍だったと言われています。

その結果、9月初旬にパキスタン北西部のシンド州を中心に河川の大反乱が起き、イギリス全土に匹敵する国土の3分の1が水に浸かり、数百万人が定住できる家もない暮らしを続けていると報道されています。


この大氾濫で亡くなった方々には、心からお悔やみを申し上げ、被災者すべてが1日も早く平穏な日常生活を取り戻せるよう、祈らずにはいられません。

しかし、あるパキスタン人ジャーナリストの次のような文章には、まったく賛成できません

国連のグテーレス事務総長は「パキスタンは工業化が進んだ国々が惹き起こした気候変動の犠牲になった」と述べた。これは重要な指摘だ。専門家によればパキスタンは人為的に排出される二酸化炭素の1%未満しか排出していないという。それなのに、大量の二酸化炭素を排出している他国の犠牲になったのだ。

しかも、被災した4州の知事が大統領の与党派2知事、最大野党派2知事に分かれているから、地球温暖化はどんな政治姿勢で臨んでも不可抗力で、ひたすら先進諸国が二酸化炭素排出量を減らさなければ解決しない問題である証拠だというのです。

これはとんでもない責任逃れの議論です。

有史以来、多くの人々が飲み水や灌漑用水を求め、水運の便を考えて大河のほとりに定住してきました先史時代でも、定住農耕をおこなうようになってからはほぼ同様だったでしょう。

そして、多くの国で時の権力者がが治水に積極的であれば経済的にも発展し、政権も安定するけれども、逆に治水に消極的であれば経済発展もままならず、政権も不安定になるという栄枯盛衰をくり返してきました。

とくに、近代産業革命以後の土木技術の発展はめざましく、過去1~2世紀にわたって洪水などの水害で失われる生命や資産はさまざまな自然災害の中でもっとも急速に減少しているのです。

また、モンスーンシーズンに大量降雨が起きがちなパキスタンでは、過去に何度も大洪水による被害が大きく国民経済にのしかかった歴史があります。

降雨量の激変する地域で突然月間降雨量が平年の3倍になるのは、珍しいことですが、人為的二酸化炭素排出量の激増を原因に持ち出さなければ説明の付かないことではありません

次の地図グラフは、濃い青の線が河川、青がにじみ出ているところが水害による冠水地域です。


ご覧のとおり、2022年8月27日の惨状は言うまでもありませんが、2021年の同月同日にも、今回の大氾濫が起きた地域内であちこちに冠水地域が出ていたのです。

もちろん、前年のうちに堤防などの修復や強靱化に取り組んでいれば、今回の大災害を防げただろうなどという生やさしい話ではありません。大河の水系全体を氾濫による洪水から守るにはおそらく数十年の計画的な取り組みが必要でしょう。

ですが、第二次世界大戦後独立したパキスタンには、こうした地道な努力をおこなう時間はあったのです。

その中で、パキスタンはどうせ使えないだろうし、むしろ使えば自国に破滅的な被害をもたらすだけであろう核兵器にしがみついていながら、洪水に対応する治水対策には十分な時間と財源と労力をかけなかったのです。

問題はこうした無責任な為政者が、「地球温暖化による不可抗力」と言えば免罪され、またジャーナリストも、どんな災害についても地球温暖化に結びつけて「解説」すれば、欧米大手マスメディアにもてはやされるという風潮がすっかり定着してしまったことです。

なお、地球温暖化のせいにすれば免罪される為政者は、発展途上国だけに存在するわけではありません。むしろ、発展途上国の為政者が怠惰によって災害規模を大きくしたのに比べて、積極的軍事介入をしておきながら免罪される超大国のほうが罪は重いでしょう。

ソマリアの飢饉も地球温暖化のせいなのか?

ソマリアは「アフリカの角」と呼ばれる東に向かって突き出した岬を持つ、サヘル(サハラ砂漠以南)諸国の東端に位置する国です。

この国では、過去10年近くにわたって農作物の不作、凶作が続き、次の写真に見るような栄養不良によってやせ細った子どもたちが大勢います


なんともいたたまれない思いのする写真です。ですが、この21世紀にも存在する飢饉の元凶はけっして地球温暖化ではありません

ただ、ソマリアがとくに日照りによる被害を受けやすい国なのは事実です。


サヘル諸国はぎりぎり北半球に属するので、モンスーンなどの季節風もほとんど例外なく、西から東に吹きます

ですから、西の大西洋岸から上陸した当座はかなり湿気の多かったモンスーンも、アフリカ大陸南端のソマリアにたどり着く頃には湿度がかなり低くなっている傾向が顕著です。

ですがそれは、ソマリアよりやや軽減されはしますが、西隣のエチオピアやケニアにも言える問題です。

また、これは農業にかぎりませんが、なんらかの制約によって生産高が低い地域は、そのハンデを克服することに成功すれば、飛躍的に生産高が伸びることがあります。

たとえば、降水量が少なくても生育の良い品種を栽培するなどの工夫が考えられます。実際に、同じようにアフリカ大陸の東端に位置するエチオピアとケニアは国連食糧農業機関(FAO)の集計によれば、以下のようなすばらしい結果を出しています

エチオピアの穀類生産高は、1993~2020年で470%増加

ケニアの穀類生産高は、1990~2020年で730%増加

それに比べて、ソマリアの穀類生産高は1990~2020年で70%も減少してしまったのです。

この極端な差は絶対に、地球温暖化のせいではあり得ません

ソマリア経済を引き裂いた内戦

ソマリアはもともとイギリスの植民地だった現在のソマリランドとイタリアの植民地だったソマリアがそれぞれ共和国として独立してから、連邦を形成した共和国連邦でした。

しかし、軍人出身でクーデターによって政権を奪った独裁者が隣国エチオピアに侵略戦争を仕掛け、結局撃退された頃から、ひんぱんに内戦が起きる国になってしまいました。

現在は、まだ国連には承認されていませんが、ソマリランドと、ソマリアに分裂し、そのソマリア国内でもソマリランドの抜けたプントランド州と南端のジュバランド州がそれぞれ自治を宣言し、断続的に内戦が続いています



それ以上に大きな問題があります。

それは、軍事独裁政権を倒す際に活躍したアル・シャバブというイスラム教青年組織を、アメリカが「イスラム過激派テロリスト集団」と決めつけて、当初は陸軍まで派遣し、今もたびたび空爆をするなど、ソマリアの社会・経済不安定化に大いに「貢献」していることです。

このへんの事情は、高野秀行さんの『恋するソマリア』がお勧めです。ふつうの戦争・内戦ルポルタージュと違って、現地で暮らしている人たちの生活感覚をみごとに捉えているからです。

アフリカ東端3ヵ国で、先ほどご紹介したほど農業生産の成長に格差ができてしまった最大の理由は、世界最強の軍事力を持つアメリカが、内戦を収拾させるどころか、むしろ内戦の恒常化を狙っているような軍事介入を続けていることでしょう。

ですが、この事実もまた「地球温暖化による飢餓の蔓延」と片付けられてしまっているのです。

そして、アメリカ本国でも無能な地方自治の言い訳に

もちろん、お膝元のアメリカ国内でも、あらゆる天変地異の原因を人為的二酸化炭素排出量の激増による地球温暖化に帰して、為政者の怠慢や無能をおおい隠す風潮は歴然としています。

アメリカのネバダ州とアリゾナ州の州境に、ミード湖という人造湖があります。1920年代から30年代にかけて構築されたフーバーダムによってコロラド川の水流を堰き止めて造られ、飲料・生活用水、灌漑用水、水力発電に活躍していました

ですが、今そのミード湖の水位が、水力発電にも支障を来たし、カリフォルニア州やネバダ州の水源としての役割も果たせなくなるのではないかと思うほど低下しています。


湖底から水面までの高さが、めったに1100フィート(336メートル)を割りこまなかったのに、直近ではかろうじて1050フィート(320メートル)を上回るところまで低下しているのです。

アメリカ最大の人造湖と言うことで観光船の名所にもなっているのですが、湖水面から建物3~4階分はひからびた山肌に覆われた殺風景な場所になってしまって、観光船運営業者は困り果てているようです。

当然のように、これもまた地球温暖化のせいにされています

ところが、ミード湖に流入するコロラド川からの水量は、下のグラフでご覧のとおりランダムに上下しているだけで、減少している気配はありません


いったいなぜ、ミード湖の水位は低下しつづけているのでしょうか

タネを明かせば「なんだ、そんな当たり前のことか」とがっかりするような話なのです。


このグラフは、2008年までの実績に基づいた長期予測です。一目瞭然で、ちょうど世紀の変わり目までは供給が需要を上回っていたのに、2020年頃からは漸増を続ける需要がほぼコンスタントに供給量を上回るだろうと予測されていたのです。

結果的にこの予測がずばり的中したのですが、その間ミード湖から水をもらっていた自治体は、たとえば取水先を多様化するとか、水道料金を大幅に上げるとかの対策を取ったのでしょうか

私の知っている限りでは、他のもっと小さな人造湖から水路を使って水をミード湖に導き入れて「水供給量に不安はありませんよ」とこそくな細工で取り繕う以外、ほとんど何もやらなかったようです。

予測どおりに水不足になってからも、地球温暖化に責任を転嫁しているだけなのですから、話になりません。

全欧州で2022年は1540年以来最悪の酷暑だった?

ヨーロッパ諸国では、去年の夏がはたして今も数々の伝説が語り伝えられている1540年の酷暑を上回る暑さだったのか、そこまでは行かなかったのかが話題になっています。

1540年には、ふだんあまり暑くならない中央ヨーロッパやドイツ北部などで、最高気温が40℃を超える町が続出し、乾燥して立ち枯れ状態の農作物に火が点くと止められずに野火として燃え広がる被害が続出したそうです。


中にはひからびた沼の中に神に導かれたように分け入って、初代ローマ皇帝アウグストゥス時代の金貨が詰まった壺を掘り当てて大金持ちになった女性もいたそうです。

しかし、ほとんどの人間、動物、そして何よりも農作物にとって大きな被害の出た年でした。

さて、2022年の夏がそれを超えたか、それとも接近しただけかという点については、イギリスについてみればかなり超えていた可能性が強そうだというデータもあります。


この数字は、特定の日のイギリス全土の観測所の最高気温の平均値を示しています。イギリスの中でもスコットランドのハイランド地方(北部)などは夏でもかなり寒い土地柄です。

そういう地域の観測所もふくめた平均値で40.3℃ですから、ロンドンを中心とするイングランド南部はそうとう暑かったでしょう。

このグラフを見ただけでも、イギリス全体として1990年以降は最高気温平均値が36.5℃を上回る年が激増していることは明白です。

ただ、「だから地球全体が温暖化しているのは間違いない」という結論も、「こんなに突然最高気温が上がったについては、なんらかの人為的要因が介在しているに違いない」という推論も、間違っていると思います。

逆に1920~80年代までのイギリスが平均値として最高気温が異常に低い時期だったのかもしれません。

実際に1960~80年代初めまでの自然科学者や大手メディアは、圧倒的に「地球寒冷化」を懸念していて、温暖化が問題だと唱える人はほとんどいなかったのです。

また過去1000年間で1日限りの最高気温が1540年に達成されていたという事実は、当時「地球全体が趨勢として温暖化していた」という証拠ではなく、むしろ地球全体の温暖化や寒冷化には関係なく、突発的な異常高温や異常低温は起きることを示唆しています。


過去1000年で長期間(たとえば10年間、あるいは50年間)非常に暑かった時期が続いたのは、間違いなく中世温暖期と呼ばれる9世紀末から12世紀でした。

何しろ期間を長く取れば取るほど均されてしまうのに、100年平均で全期間平均より0.7℃近く温暖だったのです。でも、過去1000年間でたった1日の最高気温記録が達成されたのは、2番目の0.3度弱という山であるルネサンス温暖期もすでに下り坂に入った頃のことです。

現代温暖化のピークはおそらく2010年代頃になると思いますが、その時期を中心にした100年間が、中世温暖期のように全期間平均気温より0.7度も高くなるかどうかは疑問です。

ましてや、これからもずっと温暖化が続き、人間だけではなくあらゆる動植物が生きて行けないほど全世界の平均気温が上がると主張するのは、木を見て森を見ないタイプの議論だと思います。

この点について、とくに欧米人のあいだで何かしら自然現象に異常と見られることが起きると、すぐ「これほど大きな平均値との乖離は人為的原因がなければ起きない」と主張する人が多い事実には、興味深いものを感じます。

ヒューマニズムはありがたがるほどのものか?

上のグラフをもう一度眺め渡すと、100年以上平均値より高温が続いた時期には、必ずヨーロッパでヒューマニズム運動が盛り上がったことに気づきます。

人文主義、人間主義、人権尊重思想などいろいろな訳語がありますが、私は人間中心主義と訳すのが適切だと思います。

たいそう立派な主張のようですが、反面「人間に解明できない謎はない」とか、「人間こそが全宇宙の自然を支配するために神に遣わされた存在だ」という傲慢な主張でもあります。

そして、「しょせん自然は神の似姿に創られた人間に奉仕するためにあるのだから、あまり人間がいじめたら衰弱死することもあるし、目に余る暴威をふるうようなら人間がその力を封じることもできるひ弱な存在だ」という自然軽視思想でもあります。

こうした思想に根底で支えられたヨーロッパ人とその系譜を引く北米人は、自然災害についても、強引に人為の介在を信じこむ傾向があるようです。

たとえば、中世を通じて何度かペストやコレラなどの大疫病が勃発した際、ヨーロッパのキリスト教徒たちの多くが「ユダヤ人やイスラム教徒が毒を撒いているに違いない」と確信していました。

この確信を裏付けたのは「我々はやましいところがないから祈りを捧げる前にも食事の前にも手を洗わないが、あいつらはやましいから祈りと食事の前に必ず手を洗う」という自分たちの公衆衛生道徳の不備を逆手に取った理由なのですから、始末に負えません。

1540年の未曾有の酷暑のときにも、カトリックが優勢な地域ではプロテスタントが、そしてプロテスタントが優勢な地域ではカトリックが、農作物に火を付けて野火を起こした極悪人として残虐な処刑の上で、遺体がさらしものにされました。

まさに、ルネサンスの「人間復興」が頂点をきわめた頃のことです。「地球温暖化の元凶は人為的な二酸化炭素排出量の激増だ。だから人類全体が悔い改めなければならない」という主張は、危険です。

花のルネサンス期に並行して進んでいた宗教改革派(プロテスタント)と対抗宗教改革派(カトリック)の血みどろの抗争を現代に甦らせるかもしれないからです。

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コメント

牛の尻尾 さんのコメント…
人間中心主義の弊害には底知れないものがあり、辟易しますね。
六道輪廻でも学んだら少しは謙虚になれるのでは?
かつて地盤工学の碩学が防災に関する講演で、「備えあれば憂なし」ではなく、「人事を尽くして天命を待つ」と考えるべき、と説かれたことを思い出しました。
増田悦佐 さんの投稿…
牛の尻尾様:
コメントありがとうございます。
はい。欧米の人間中心主義思想は、「人間は神に取って代わるほど全知全能に近い存在でなければならない。その基準に適合しない人間は、なるべく早く一掃すべきだ」という優生学思想と渾然一体になっているような気がします。